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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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常陸の雄・佐竹義昭 

佐竹義昭(1531~1565)
佐竹十七代当主。常陸の戦国大名。
父・義篤は、弟の反乱に悩まされていた。しかし、天文九年(1540)には弟を討ち乱を収束させ、常陸北部を統一したが、天文十四年(1545)に父は三十八歳で原因不明(恐らくは病死か)の死を遂げる。義昭は十五歳で家督を継ぐこととなる。
分家の佐竹三家(北家・東家・南家)の補佐を受けながら、義昭は常陸の統一に取り掛かる。
かつては盟約を結んでいた江戸氏とも対立し、江戸氏は佐竹氏に圧迫されていく。天文二十年(1551)、順調に勢力を拡大しつつある義昭のもとに、河越夜戦で大敗を喫して以降、北条家に圧されていた上杉憲政から連絡があり、自分を保護して欲しいと申し込んでくる。その暁には、上杉の名跡&関東管領の職と言うおまけつきで。
だが、元々佐竹家は清和源氏の血筋であり、新羅三郎義光の流れを組む名家。名門の誇りを持つ義昭はこれを拒否した。
弘治三年(1577)、宇都宮家の内部で内訌が発生した時は、宇都宮広綱を支援し、広綱を宇都宮城に帰還させている。永禄三年(1560)には結城晴朝を攻めて勝利している。永禄五年(1562)には上杉輝虎(後の謙信)と結んで小山城を攻めた。同年、義昭は嫡男の義重に家督を譲り隠居した。が、実権は握り続けた。
永禄六年(1563)には那須氏を攻めて勝利しており、永禄七年(1564)、北条氏・結城氏と手を結んだ小田氏治が攻撃してくる。義昭はこれに対して上杉氏・宇都宮氏と結んで小田城を奪い、側室の実家の大掾氏も傘下に収める。
永禄八年(1565)、11月3日に急死した。三十五歳没。

※毎回おなじみのどうでもいいおまけコーナーです。飛ばしても問題ありません。

義昭「どうも、よろしくおねg・・・ごほっ」
秀綱「登場開始から血を吐いた!」
業正「というわけで、今日は佐竹義昭殿にお越しいただいたが、具合が悪いのであちらからお帰りを」
義昭「・・・いや、いつものことなので、お気になさらず」
業正「そうか、後で汚れた畳の代金は払っていただくが、よろしいな」
義昭「・・・ええ、それはもう」
業正「それにしても、病いがちの割にはかなり領土の拡大が活発だな」
義昭「病がちゆえ、ですよ、いつ死ぬか判りませんから」
業正「寿命がラスボスというやつだな、よくわからんが」
義昭「シスコンチート爺にはわからんでしょうね」
業正「・・・よく聞こえなかったが今なn」
義昭「げほっごほっ失礼・・・佐竹は洞という独自の、縁組を利用した連合を組んでいたのですが、これが統制力の弱いものでして、どいつもこいつも時勢によってくっついたり離れたりしておりまして」
業正「・・・もはや、血縁では互いの信頼も保てぬのは何処も同じか」
義昭「江戸氏も小田氏も・・・いい加減こっちもブチキレましたね、あいつらの足元を見ない上から目線に」
秀綱「高幹殿に少し聞いていましたが、常陸のごたごたっぷりも相当のものだったようですし、苦労されたでしょう」
義昭「ああ・・・あの剣聖様の本家(大掾家)も内訌を起こして衰退していますからね」
業正「その点、佐竹家は内訌をうまく治めて、その後勢力の拡大を行えたわけだ」
義昭「父上の奮闘の賜物ですよ。それがし側で見ておりましたから、自分の代で佐竹の拡大を頓挫させたくはありませんでしたし」
業正「縁のある者らをよく貪欲に攻めて行ったな」
義昭「結局、縁が邪魔をしていたのですよ。縁にかこつけて、調子のいいときだけ結んで、用がなければそっぽを向くという、悪循環を生んでいたのです、まぁ、佐竹の洞という関係のゆるさが招いたことかもしれませんが」
秀綱「義昭殿も、ご自身の血筋に邪魔されて、せっかくの関東管領の座を逃してしまいましたねぇ」
義昭「ははは、これは手厳しいですな・・・」
業正「仕方が無いだろう、清和源氏は武門の名家、その名跡は捨てられまいよ、わしが在原氏であるように」
義昭「根拠の無い自称を並べられても」
業正「あー、なんか聞こえt」
義昭「申し訳ない、今日は緊張しているせいか、体調がっ、げほげほげほ」
秀綱「困った病気ですね・・・」
業正「親父殿も祖父殿も、50歳に届かず亡くなっているのか、病弱短命だな」
義昭「どういうわけか、そのようですね。息子にこの特徴が遺伝しなくて本当に良かった」
業正「しかし、三代続けて・・・か、呪われてるんじゃないのか」
義昭「まさかそんな」
秀綱「確か、お爺様の義舜殿は、一門である山入家を滅ぼしてらっしゃいますよね」
業正「殺された一門の恨みで」
義昭「いや、いやいや、そんな怖・・・根拠の無いことがあるわけが」

業正「・・・で、お主にシスコンとか吹き込んだのは、どこのどの魚民だ」
義昭「ああ、その安房の義堯殿です。義兄弟の契りを結んだと聞きましたが」
業正「あやつに妹を嫁がせたのも、未だに認めておらんわ!」
義昭「はぁ、そうなのですか(見事にシスコンじゃないか、黄斑もたいしたことないな)」
業正「まぁいい。後であいつは活けジメにしてやる」
義昭「それはそれは、頑張ってください」
業正「ああ、畳の代金だが・・・一枚変えると色合いが変わってしまうのでな、全面取り替えるからそのつもりで、あとで請求が行くからな」
義昭「・・・承知(やられた・・・とんだ喰わせジジイめ)」

おわり

佐竹義昭さんでした。佐竹の独自システム「洞」は義昭のおじいさんのころに成立したものらしいです。
「血縁者でみんななかよく」という寄り合い連合で、実態は領主それぞれが勝手に土地を支配しており、佐竹は盟主だけどそんなに存在感と権力が効くものでもなかったようす。
ざっと調べたただけなので、間違ってたらごめんなさい。
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