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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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長野業正と上杉憲政・2 

上杉憲政(1523~1579)
関東管領を務める山内上杉家の当主。
3歳の時に、父・憲房が病死。幼すぎる為に、養子の憲寛(古河公方・足利高基の息子)が家督を継いだ。
だが、憲寛は扇谷上杉と手を結んだことで、小弓公方や自分の父である古河公方と対立することとなり、憲政9歳の時に、憲政を支持する家臣たちに居城・寺尾城を攻められ、管領の座を奪われ追放された。そして、憲政が関東管領となる。
天文十年(1541)、長年管領を巡って争っていた扇谷上杉氏の上杉朝定と和睦し、徐々に関東に侵攻しつつあった北条氏康に対抗しようとする。天文十四年(1545)には、朝定が今川義元と和睦、憲政も古河公方・足利晴氏と結び、翌年、関東管領と古河公方の威光を持って北条と雌雄を決せんと周辺勢力に働きかけ、八万の軍勢(この半分と言う説もある)で、北条綱成が守る河越城を包囲。しかし、救援に駆けつけた北条氏康の策によって、わずか八千余の氏康軍に、憲政らの大軍は大敗を喫し、扇谷の当主・朝定は戦死、晴氏は逃げ、憲政も多くの兵を失って逃走した。
その後、体勢の建て直しを計るも、天文十六年(1547)、信濃の国人・笠原清繁に救援を求められ小田井原で武田軍と戦うが、大敗。この頃から、忍城の成田氏、自身の家臣団からも離反者が出てくる。
そして天文二十一年(1552)には居城・平井城に北条軍が攻め寄せる頃には、長野業正をはじめとする河西衆が離脱。憲政の馬廻も離反し、寄る辺を失った憲政は弘治三年(1557)(※永禄元年説もある)、ついに上野を離れて越後の長尾景虎を頼った。そして、長尾景虎を憲政の養子とした。
永禄三年(1560)、景虎と共に関東に向かい、北条に奪われていた城を奪還しつつ、諸将を募って大軍を編成し、翌年には小田原城を攻めたが、落とすことはできなかった。戦いの後、鶴岡八幡宮にて関東管領職を景虎に譲渡し、上杉姓と自身の「政」の字も与えた。
この後憲政は隠居し、剃髪している。
天正六年、上杉謙信の死後、養子の景虎と景勝の跡目争いのなか、憲政は景虎を支持。しだいに勢力の増した景勝方に攻められた景虎は、憲政の住む館、御館に立て篭もった。憲政は景虎の嫡子と共に、和睦を申し込もうと景勝側に出向くが、そこで討たれて死去。57歳。

※・・・いつものコーナーです。

憲政「いてて・・・」
業正「どうなされた、憲政様?」
憲政「いや、外でやたら丈夫な老人に『覗いてないでとっとと入れこのボンクラ』と押し込まれてな」
業正「・・・それは災難でしたな、その無礼なジジイは我が家臣の秀綱殿に命じて厳しく罰しておきますゆえ、ご安心ください」
憲政「・・・うむ」
業正「憲政様・・・頭をお上げください。うつむいていてはお顔が見えませぬ」
憲政「・・・どの面下げて、私はお主に対せばよい」
業正「その、いかにも人良さげなお顔でございます。先ほどの暢気な憲政様はどうされたのです?」
憲政「わ、私はお主が怖いのだっ!」
業正「・・・憲政様」
憲政「後ろから見ていると、大きくて、とても頼れる気がする・・・だが、正面から見るとたまらなくなる。私はお主に何をしたと思う?何もしていない、話もあまりしない、意見があっても容れない・・・」
業正「ああ、そうでしたなぁ。しかし、上杉家での権力を増そうと言う野心を見透かされ、警戒されたゆえ仕方がありませぬな。野心を憲政様に悟られてしまったそれがしの失策でございました」
憲政「う・・・そ、そして、河越で負けて、武田に攻める口実まで作って、お前だけでなく、多くの者に愛想をつかされ、関東から逃げ出した・・・そんな私が、関東に残り戦っていたお主に、何を・・・」
業正「その先、ですなぁ」
憲政「先?」
業正「それがしと袂を分かった後です。どうなさっておられたのです?よろしければこの爺めにお聞かせね願えませぬかな」
憲政「・・・それでいいのか?」
業正「御意」
憲政「なら・・・その、逃げた後のこと、だが。どうしようもなく、ダメな私を、景虎殿は暖かく迎えてくれた、それがとても、嬉しかった」
業正「あの御仁、情に厚い人柄のようですからな(腹の底はしたたかなものだが)」
憲政「お主や、多くの家臣に見放されて、いかに己が管領の名を着ただけの小さい男かを知った。周囲もそれを知っていた。それでも、景虎殿は丁重にもてなしてくれた。名前だけの自分に・・・無論、その名前を利用する目論見もあるのだろうが、それでも・・・心地よい扱いだったのだ」
業正「それで、何か礼をと思われたのですな」
憲政「ああ。力の無い者が管領であっても関東は収まらない。だから、力のある景虎殿に名を贈り、関東管領として関東を治めて欲しいと考えたのだ」
業正「これは意地の悪い問いなのですが・・・長尾殿はあなたにそうさせるのが目的で、その後用済みにされるとは思わなかったのですかな?」
憲政「それでもいいと思った。なにもかも失ってしまっても、構わないと思った・・・そうはならなかったけれど」
業正「・・・」
憲政「それから・・・考える時間が出来た。今までのこと、己の行動の軽率さ、愚かさ・・・反省と後悔・・・朝定殿、晴氏殿、家臣達に、懺悔と・・・感謝を。出家したからね、祈る時間は沢山あった」
業正「・・・」
憲政「それで、謙信殿の養子の景虎殿と仲良くさせていただいた。景勝殿とも仲良くしていたと思っていたのに、謙信殿が亡くなると、急に子供たちは家督を争い始めた。・・・端から観ていると、悲しくて醜いものなんだな、権力の争いと言うのは・・・我が山内上杉と、扇谷上杉の争いも、そうだったのだろうな」
業正「・・・」
憲政「私は、どうにかして和解させようと必死に頑張ってみた。景虎殿は、北条から養子に出された方だが、良い方だった。もう、北条への恨みとかそういう感情はなくて、ただこの兄弟の争いを止めたかった・・・結果は、あの通りだったけれど、ね」
業正「いや、ご立派ですぞ、憲政様」
憲政「・・・そうかな」
業正「それがしの知っている憲政様は、北条との戦と声高に言いつつ、ご自身は殆ど出陣なされることはなかった。しかし、御館では自分が恩義を受けた家の争いを鎮めようと、不利な戦に自ら撃って出られた・・・随分と成長なされましたな」
憲政「そ、そんな風に思ってくれるのか?」
業正「ふ・・・ようやくお顔を上げてくださいましたな」
憲政「・・・業正、私は」
業正「途中経過など、どうでも良いのです。最後まで、必死に頑張られたのですから。胸を張られればよろしいのですよ、憲政様」
憲政「ああ、ああ、そうする!これでも私はお主のあるじだったのだもの、お主を辱めぬ為にも、毅然とせねばダメだよな!」
業正「よい笑顔です、憲政様。・・・随分長く時が経ちましたが、そのようなお顔を拝見することができ、嬉しゅうございます」
憲政「よし、これからは堂々と胸を張って、陰からお主を応援するぞっ!」
業正「いや、別に後ろでなくてもですな」
憲政「私は自分の情けなさを自覚したからな!これからは堂々と業正に頼らせてもらうぞ!」
業正「・・・やれやれ、全く立派なご主君で・・・しっかり後ろに居てくだされよ」

おわり

ゲームじゃひどいステータス。何かにつけて「ヘタレ武将」とか「ダメ武将」とか言われてしまう上杉憲政さんですが、そんなに悪い、ダメな人でもないのじゃないのかという気持ちで作ってみました。河越夜戦での大失敗ばかりが目立つ憲政さんですが、関東を去り、長尾景虎に上杉姓と管領職を譲ってからのち、上杉家の家督争い「御館の乱」で重要な人物でした。
自分の中では、憲政さんは乱世向きではなく、平和が似合った普通のいい人だったんじゃないかな、と思います。
どうでもいいんですが、「なりまさ」と「のりまさ」なのでキーを結構打ち間違えます(笑)。
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