FC2ブログ
10« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»12

行き当たりばったり 道中日記

  // 

信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告  /  tb: --  /  cm: --  /  △top

長野業正について。 

長野業正(1491~1561) ※生年には1499年説もあり。
長野憲業(または信業)の子。
若い頃の記録については不明。
天文15(1546)年5月、北条氏康と上杉憲政(山内上杉)、上杉朝定(扇谷上杉)、足利晴氏の連合軍と戦った、河越夜戦に参加。連合軍は氏康の策の前に大敗を喫し(軍記物では、氏康の行動には罠があると憲政に注意したが聞き入れられなかったと描かれる)、業正の長男の吉業はこの戦での怪我が元で後日亡くなった。
天文16年、武田晴信との笛吹峠(碓氷峠)の戦いには参加せず(軍記物では、「武田とは敵対していないのに、こちらから攻めては無駄に敵を増やすことになる」と諌めたが聞き入れられず、憤慨して箕輪城に帰ってしまったことになっている)、この頃から上杉憲政との間に微妙な空気が流れ始めていたと思われる。(業正は、晴信から内応の誘いを受け、これを断っていた)
天文21(1552)年、御嶽城(武蔵国の城。安保氏の守る城)が氏康によって攻め落とされ、憲政の居城である上野平井城が危機に陥ったが、業正は西上野衆を取りまとめて憲政から離反した。
軍記物において、業正は最後まで主君を支えた忠臣として描かれ、武田信玄の侵攻を6度退けたとされているが、これを裏付ける一次資料はなく、後世の創作と言われている。
永禄3(1560)年の上杉謙信が北条氏康を攻めるため関東に来た際には、これに加わり北条氏と戦っている。
翌年の11月(6月という異説あり)に病没。71歳。

※塚原ト伝と長野業正に特に関連はないです。念のため。単に、年が近い出たがり爺だと思ったから、話が合いそうかな、と。

高幹「・・・で?どっちなんじゃ」
業正「なにが?」
高幹「お主は、義を取ったのか?それとも利を取ったのか?」
業正「さて、問題だ」
高幹「なぬ?」
業正「主君に忠告して、無視されて、仕方が無いから離反した。しかも、武田に内応しようとしているなんて疑いまでかけられていたから、弁明もできなかった。主家に尽くしたのに報われなかった気の毒な老人のわし。でも、北条にも武田にも従わずに居続けたのは、きっとまだ主君を想っていたからに違いない一途なわし・・・どう思う?」
高幹「・・・白井長尾の家中の騒動に介入してちゃっかり実権を握っていた部分が抜けとるぞ」
業正「おお、わしとしたことが、ついうっかり」
高幹「まったく、しっかりしておるわい」
業正「そりゃ、乱世の武将ならちょっとした食い気くらい出すともさ」
高幹「それで憲政殿に警戒されたと言うことも、ありうるかのぅ?」
業正「かもしれんな。わしの台頭を面白く思わぬ、重臣たちもいたはずだしな」
高幹「しかし・・・山内、扇谷、もとは一緒のはずが・・・よくまぁ、同族同士でくっついたり争ったり」
業正「長尾も親子で対立したりしていたしな」
高幹「そこにつけこんだわけじゃな」
業正「そうなるな」
高幹「うまいことやったわけか」
業正「そういう言い方は心外だ。いつまでも身内でグダグダ争われてはたまらんし。どっちかを助けて、とにかくまとまってもらいたいという気持ちもあったんだぞ?」
高幹「だが、おぬしの気持ちとは裏腹に、主家との溝は深まるばかりだったようだのぉ」
業正「そこに関しては、なんとも言えん。あの方がもっと先の読める方ならよかったのか、わしがもっと貪欲に行動してしまえばよかったのか・・・ともあれ、結果はご覧の通り、後を継いだ業盛にはすまないことをしたな」
高幹「そういや、お主死ぬ前に遺言を残しとったな」
業正「ああ。『墓は一里塚のような粗末さでおk、法要はイラネ、敵の首を供えろ、敵に降伏するくらいなら潔く自害だろJk』・・・ちと厳しすぎたかな?」
高幹「厳しいなんてもんじゃねーだろが!死にそうでヤケになったような遺言だな、まったく・・・」
業正「お前さんこそ、養子たちに子供のいたずらみたいな跡継ぎテストしておるだろうが」
高幹「お前のスパルタな遺言よりはかわいいもんじゃろ」
業正「そんなもんかね」
高幹「・・・ところで」
業正「まだなんかあるんかい」
高幹「お主が死んだ時、息子は14歳だよな」
業正「そうだな」
高幹「その息子には、弟がいたそうじゃな」
業正「いるな」
高幹「・・・お主いくつで死んだんじゃっけ?」
業正「71歳」
高幹「・・・元気にも程があるな、じじい」
業正「お前さんにだけは言われたくないな」

おわり

というわけで、長野業正さんでした。
単なる「高義理の老将」ではなく、しっかりとした戦国の武将たるしたたかさもある渋めの爺さんであることが最近の研究でわかってきてますます好きになってます。じじいもっとやれ。
まだもうちょっと業正ネタ続きます。
スポンサーサイト
関東戦国伝  /  tb: 0  /  cm: 0  /  △top

コメント

△top

コメントの投稿

Secret

△top

トラックバック

トラックバックURL
→http://ikiataribattaridocyu.blog33.fc2.com/tb.php/598-c64e7f85
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。