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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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剣豪さ(略)特別編~徳川義直のまき~ 

徳川義直(1600~1650)
家康の九男。
武芸に通じた父と同じく、新陰流宗家三代・柳生利厳を雇って彼に師事した。兵法者としての素養も持ち合わせていたようで、後に利厳より新陰流宗家四代目を継承している。
また、利厳のほかにも、行覚流(槍術)の田辺長常・制剛流(柔術と居合)の梶原直景、ほか鉄砲、弓術など様々な武芸者を積極的に迎え入れている。
義直の特徴と言えば「尊皇思想」である。彼の自著『軍書合鑑』には「王命(天皇)によって催さるる事、すなわち、保元・平治・承久・元弘の乱のごとき兵乱が起き、官兵が動員さるる事態になれば、いつでもこの官軍に属すべし。一門のよしみを考慮し、かりにも朝廷へ弓を引くべからず」と記していることからもその精神が伺えるだろう。
この考えは、徳川光圀や幕末の尾張藩士達に影響を与えた。
家光とは性格上合わなかったのか、会えば衝突することが多かったと言う。


義直「では、よろしく頼むぞ」
宗矩「え・・・あの、尾張公?」
義直「ん?」
宗矩「なぜ、たすきをかけておられるので?」
義直「なぜって、準備だが」
忠明「袋しないまで持ち出したぞ」
義直「一刀流は木刀であったな。わしはそれでも一向構わんぞ」
宗矩「どうも話がかみ合わない(というか、嫌な予感しかしないが)・・・つかぬことをお伺いしますが」
忠明「伺わなくても、これは立ち合う気だろう」
義直「そうだが?そういうつもりで呼んでくれたのだろう?」
宗矩「・・・・・・え」
忠明「さすが、新陰流宗家四代。相手にとって不足はない」
義直「ふふふ、わしも音に聞こえた一刀流の“切り落とし”味わってみたいぞ」
宗矩「違います!違います尾張公!!兵法にまつわるお話を伺いたいと言う趣向の場でしてっ!」
忠明「今回だけ特別に試合でもいいだろう、特別編だけに」
宗矩「全っ然上手くありませんから、それ。免許皆伝同士が本気出したら危ないでしょう!他にも色々問題がありすぎます!ここは抑えて下さらないと、お二人とも」
義直「・・・ふむ、問答での立ち合いでも構わぬぞ。将軍家指南役と争っては、わしの立場も危ういしな」
宗矩「ご理解いただいて恐縮です」
忠明「ちっ、つまらん」
義直「ま、ここは柳生の顔を立てておくとしよう」
宗矩「・・・ははは」
忠明「しかし、大名で兵法の流派の宗家を継ぐというのは、並大抵のことではないと思うな」
宗矩「ですよね。様々な職務をこなす合間に、どう修練を積むとそこまでの境地に達せるのやら」
義直「何でも突き詰めないと気が済まないタチでな」
宗矩「・・・ここに、尾張公の日々の暮らしを記した本があるのでご覧頂きましょう」

近松茂矩著・『昔咄』より
~源敬公(義直没後の贈名)の一年~
・毎朝未明にお目覚め。
・明かりをつけて自分で髪を整える。
・4月~7月まで毎朝鉄砲の修錬。お側の者もやる。
・朝ごはんの後には諸事を聞く。
・その後に学問の時間
・若い頃には毎日兵法修行(剣や槍)を行う。
・夕食後に、弓の稽古。続いて馬術の稽古。
・弓馬の達人になり、流鏑馬はよく行った。
・一時的な武道ではなく、常に戦場にいる気持ちで武芸に励んでいた。

宗矩「この近松という者は、もっと先の人なんですがね」
忠明「また時空を狂わせる資料だな・・・」
義直「おおむねこの通りだな」
忠明「随分、武芸に時間を割いているのだな」
宗矩「さすがと言いましょうか、ここに政の時間も入れたらかなり厳しい時間割ですね」
義直「人に厳しく当たるには、まず己から律しなければいかん」
宗矩「それと、この本の続きを見てみましょう」

『~源敬様、つねづね、我れ倹約をするは人馬をよく持ち、武具馬具を備え、家中の者どもに武芸をさせ、出陣の用意怠らず、不慮の急変にさしつかえなからしめんがために、無用の費えをいとい、無益の遊びを禁じて勘略(財政管理)をするなりと、御意たびたびありし由~』

忠明「ようするに、武芸奨励した上、倹約もしたと」
宗矩「本当に、家康公の行われたことと同じですね」
義直「うむ、父上は我が人生の師であるからのぅ」
忠明「確か、兵庫助殿を雇った時も、値切ったとか」
宗矩「違います!兵助は福島家より二千石で召抱えるとの打診をいただき、断っていたのです」
義直「で、わしが『五百石でウチへ来ぬか?』と誘って見事射止めたのだよ」
忠明「・・・工事の入札みたいだな」
宗矩「あんたも負けずにメタネタを・・・ともあれ、兵法に真っ直ぐな兵助らしい仕官の仕方でしょう。録の高さではなかったのですよ」
義直「そう、会って話をしたとき、お互いウマが合ったと言うのが大きい。兵庫助はわしの良き師であり、側近でもあった。得がたい人物だよ」
忠明「よき理解者とめぐり合えるかも、兵法者が安定した生活をするには必要な事だな」
宗矩「ええ。ですから、我々も兵助も、この冥加に感謝し精進せねばなりませんね」

家光「やった!脱出できたぞ次郎右衛門!」
宗矩「う、上様(うわー)」
忠明「む、思ったよりも早かったですな」
家光「ふふふ、日頃兵法の修錬はかかしておらぬからな!早く出たら一刀流の技を見せてくれる約束だったな!」
忠明「いいでしょう」
家光「よしっ!では・・・・・・む、これは尾張殿」
宗矩(気付いた・・・)
義直「これはこれは、上様にはご機嫌うるわしゅう」
家光「うむ、例の兵法者への聴き取りという奴だな。大儀であった、さがって休まれるがよろしい」
宗矩(大丈夫かなぁ・・・)
義直「・・・ふふ、上様、お互い得がたき家臣は大切にしませぬとな」
家光「そうじゃの、お身の申す通りだの」
義直「では、またいずれ」
宗矩「・・・上様」
家光「余も、いつまでも駄々っ子ではおれぬよ」
宗矩「上様っ・・・!」
家光「それはそうと、なぁなぁ、次郎右衛門も指南役に再任せぬか?一刀流も習いたいぞ」
忠明「新陰流も極めぬうちに何をおっしゃるのか、ダメです」
家光「えーーー、まだダメか?つまらんのう」
宗矩「・・・先は流そうだなぁ」

つづく

尾張の義直公でした。
「名古屋の人がけちである」というのは義直がケチだったからという説があるんだそうです。
家康も倹約家でしたし、お父さんの行いと同じだなぁと思いました。兵法に熱心な部分も含めて。

というわけで、ラストは徳川家康です。
来週中には上げますので、相変わらずゆるい更新なのでゆっくりお待ちください。
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