FC2ブログ
10« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»12

行き当たりばったり 道中日記

  // 

信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告  /  tb: --  /  cm: --  /  △top

剣豪さ(略)~上泉泰綱のまき~ 

このブログでは以下の説の家族構成前提でお送りしたいと思います。

父親:上泉信綱 長男:秀胤→息子:泰綱
        次男:憲元
        三男:秀胤(養子)→息子:義胤

上泉泰綱(?~1600)
上泉信綱の孫、父親は上泉秀胤。
叔父の上泉憲元と通称が同じ“主水”なために混同される。(憲元は信綱の次男であるため、泰綱次男説はここから出たとも考えられる)
父と共に、北条家に仕え、父が国府台合戦での負傷が元で亡くなると家督を継ぐが、後に北条家が滅びると浪人してしまう。
その後の彼の動向は不明だが、関ヶ原の戦いの前に上杉家が軍備増強の為に前田利益などの武勇に秀でた人材を集めていた中に、泰綱も名を連ねていた。
そして直江兼続の下で、長谷堂城の戦いにおいて奮戦するも討ち死にした。合戦の後、近隣の村人らが泰綱が討ち死にした場所に、供養のために『主水塚』を作り、現存している。


忠明「武器は紐か、三味線糸か、人体二つ折りか?」
宗矩「引っ張りますね・・・ここは普通に剣術でしょう、名前的にも」
泰綱「うん、剣術にしてもらえると俺も助かるな」
宗矩「それに、いまだに剣豪関連書籍やサイトでも、憲元殿と泰綱殿がごちゃまぜになっていますからね。はっきりさせておきませんと進行し難いですし」
忠明「では、泰綱殿は信綱様の孫、という方向でよいだろうか」
泰綱「これからは“戦国仕事人、上泉泰綱!”と憶えて欲しいな」
忠明「うむ、わかりやすい呼び名だな」
宗矩「それでは、決まったところでお話を伺いましょう」
泰綱「そうだなぁ、まずは父上が亡くなられた頃からかな」
忠明「戦の傷が元で亡くなったそうだな」
宗矩「永禄六年の一月の国府台合戦でしたね」
泰綱「戦だってことで覚悟はしているけど、それでも急だったから驚いたな」
忠明「フラグが立ってしまったのか」
宗矩「またそういう・・・!」
泰綱「父上は北条では新参だったから、手柄を立てようと張り切っていたのになぁ・・・そうか、それがフラグ」
宗矩「理解しちゃってる!?」
忠明「さすがだな」
泰綱「亡くなられてすぐ、俺が上泉の家督を継ぐことになって、お祖父さんに父上の訃報を知らせ、戻ってきて貰えるように使いを出した。翌年の初夏に、お祖父さんが戻られて・・・ちょっと泣いたな」
忠明「・・・っ」
宗矩「(最近、涙もろいな~)信綱様もショックでしたでしょうね」
泰綱「だと思う。顔には見せていなかったけど。お祖父さんにも、俺が家督を継ぐことを承認してもらってそれで正式に俺が上泉家の家督を継いだのさ」
忠明「なるほどな」
宗矩「家督を継ぐにも手続きは必要ですからね」
泰綱「それからは、平穏に北条家で・・・とも行かなかった。天正十八年に小田原城を秀吉に攻められて、北条家は崩壊してしまった」
忠明「むぅ、その頃は俺も節目だったな(小金原で)」
宗矩「その時歴史が動いた瞬間でしたね」
泰綱「主家が倒れてしまって、当然俺は浪人してしまった」
忠明「どこからも再仕官の誘いはなかったのだろうか?」
宗矩「ありそうなものですけどね」
泰綱「うーん、これは俺の我がままだったんだが、お祖父さんのように俺も兵法修行に注力してみようかと思って、どこにも仕官せずに、お祖父さんが修行をされていたと言う場所を巡っていたんだ・・・家族には迷惑かけたが」
忠明「いい機会、だったのかもしれないな」
宗矩「それでも、泰綱殿のことを伝え聞いて招く声がかかるわけですね」
泰綱「ああ。越後の上杉家からな。剣の修行もそれなりに出来たし、そろそろ仕官して上泉の家の地固めもしなけりゃいけなかった。直江殿は実直な方で信用できる人柄だったし、俺は誘いを受けた」
忠明「戦のための増員だから、実力を見せる時はすぐそこだしな」
宗矩「・・・長谷堂城の戦いですね」
泰綱「そう、上泉主水泰綱の一世一代の見せ場さ」
忠明「戦況は、どうだったんだ?」
宗矩「ええと、最初は・・・最上勢:志村光安以下千名。上杉勢:直江兼続以下一万八千名、で開始ですね」
忠明「数では上杉が圧倒的に有利だな」
宗矩「そうですね、どこかの上田と同じですね」
忠明「ぬっ」
泰綱「長谷堂城は落とさなければ、最上義光殿がいる山形城を攻めようとする時に挟撃されるから、まずは長谷堂城を攻略、という運びになったのだが・・・志村殿の守りは堅く、結局増援を呼ばれてしまって戦況は拮抗状態にまで陥ってしまった」
忠明「15日に戦いが始まって、大きく衝突したのが29日か」
宗矩「この時には、最上義光殿も出てこられて、本格的なぶつかりあいだったようですね」
泰綱「そう、だったな。とにかく、敵も味方も手勢を出し合って激しい衝突で、俺も一隊を率いて奮戦していたのだが・・・夢中になって斬り込んでいるうちに味方から離れてしまってな、気がつけば敵の真っ只中さ」
忠明「泰綱殿の進言を兼続殿が聞き入れてくれず、劣勢になって引き上げの命令が出たのに従わずに敵陣に突っ込んだ、という話もあるが」
泰綱「なんだそりゃ、それって単に直江殿を貶めたいだけで書いたんじゃないのか?うさんくさいな」
宗矩「孤立した時に、部下が誰も動かず、前田利益殿だけが救援に来てくれたとか」
泰綱「おいおい、孤立している味方一人に、そんな無駄なことするかねぇ?だいたい、前田利益殿は俺の近くにはいなかったけど・・・」
忠明「後世の資料と何か違うようだが・・・」
宗矩「・・・ま、脚色がかなり入っているんでしょうね。著者の目的とかなんやかんやで」
泰綱「まぁ、後世の語られ方がどうであれ、俺は死んで名だけは残せた。上泉家は米沢で続いた。それで俺は満足さ」

忠明「大きい人を家族に持つと、大変そうだな」
泰綱「そりゃそうだ。上杉に行った時にも『あの上泉信綱の孫だって』ってそういう目で見られるんだぞ?」
宗矩「当然と言えば当然ですが、すごいプレッシャーでしょうね」
泰綱「きっと、父上も同じような重圧を北条で感じていたのだと思う・・・別にお祖父さんが有名人なことが悪いことではないけれど、大きすぎる負担ってヤツはあるもんさ」

忠明「いよいよ、だな」
宗矩「そうですね・・・一番楽しみなんですが、だんだん怖くなってきましたよ」

つづく

上泉泰綱さんでした。
自分の調べ方がザルだったせいで、色々と立ち位置がふらふらしてしまいました。上泉主水憲元という人を、この長谷堂城の戦いでの逸話の主とする説もあるのですが、現在まで続く上泉家の方によれば、それは泰綱のことである、とのことですのでそちらに倣わせていただきました。
泰綱の長谷堂城の戦いでのエピソードは「常山紀談」や「奥羽永慶軍記」などに記されています。
常山紀談では主に泰綱を助けに行く前田慶次の活躍ぶりが語られるますが、奥羽永慶軍記では慶次は登場せず、泰綱の奮戦ぶりが書かれてあります。
泰綱が討ち死にした後、地元の村人が供養の為の塚を建てるくらいなので、その奮戦たるや相当のものだったのではないでしょうか?
現在でも「主水塚」として彼の活躍を偲ぶ事が出来ます。

次回は、いよいよ新陰流の流祖のご登場です。一番好きな人だけに、一番書くのが難しそうですが、どうぞ気楽にお待ちください。

あと、サイトの模様替えはさっぱり思いついていません(笑)どーしよー
スポンサーサイト
剣豪さんいらっしゃい  /  tb: --  /  cm: --  /  △top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。