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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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剣豪さ(略)~神後宗治のまき~ 

神後宗治(?~?)
上泉信綱の高弟の一人。伊豆守を称する。
長野家の家臣であったというが、その経歴はまったくわかっていない。
箕輪城が落城し、長野家が滅亡した後に師の上泉信綱、同じく高弟の疋田景兼と共に兵法修行の旅に出た。
旅の途中に、浪人に人質に取られていた子供を信綱が救ったことがあった。その時、信綱は僧侶に変装して油断を誘い、浪人を取り押さえたが、その袈裟を貸した僧侶はたいそう感心しそのまま袈裟を信綱に贈った。この袈裟は後に宗治に譲られている。師と共に京へ上り、将軍・足利義輝に兵法を指南したという。
後に師と別れたものと推測され、豊臣秀次に兵法を教えたらしい。
彼の興した流派は師の「新陰流」を名乗ることをはばかって「神影流」と称した。
弟子には服部藤次兵衛・和田兵斎・土屋将監などがおり、服部は将軍・家光に「神妙剣」を上覧し、和田は宗治より信綱から賜った袈裟を贈っている。


忠明「ま、まぁ何だ。こうしてみると結構話題の種があるではないか」
宗矩「そうですよ。後の世まで存続している流派の祖であられるわけですし」
宗治「ありがとう・・・だが、無理はするな」
忠明「まだ、終わらぬ!一刀流はこれしきのことで音を上げぬわ!」
宗矩「鈴木意伯殿というのは宗治様の異名でしょうか?」
忠明「ぬ、柳生、お前俺が言おうとしたことを・・・!」
宗治「そうだな、私の母方の姓が鈴木で、意伯は号でな・・・という説もあるような、ないような」
忠明「俺も、小野姓は母方の姓だという設定があった気がするな」
宗矩「どうでもいい共通点ですね・・・全く名前が違うのになぜ同じ人物と考えられるのでしょうか?」
宗治「・・・それを私に問うかね。上州に居た頃は神後で通っていたから、伝える者が鈴木と混同して書いたとかな」
忠明「神後よりも鈴木としての存在は薄いのか」
宗矩「コラッ!失礼な・・・!」
忠明「上泉四天王と謳われた方が、こうも資料不足とはな」
宗矩「そ、そうですよ、もっとしっかり記録に残られればよろしかったのに」
宗治「ははっ、勘弁してくれ。私など未熟で師の足元にもおよばぬ。なにやら弟子たちに乞われて一流を開いたが、恥ずかしくて『神影流』という表記にしたことを忘れてくれるな」
忠明「謙虚なのだな」
宗矩「しかし、神影流の強さは江戸にも届いておりますよ!家光様の前で、高弟・服部殿が上覧をされましたしね」
宗治「ほう、それはそれは。兵法も商売だからな。身分の高い方に評価されるのは有難い」
忠明「足利義輝公や、関白秀次公に指南をしたとか」
宗矩「その時期の有力者に指導される・・・さすがです」
宗治「お二方に指南をさせていただいたのは、光栄だったが、どちらも兵法では御身を守る助けにもならなかったのは寂しかったな」
宗矩「・・・兵法が役に立つかどうかは、時と場合による・・・というか」
忠明「運次第だからな」
宗治「その通り。むしろ、変わった芸当として庇護されていたほうが食えるからな・・・師もそういった収入源を持っていたからこそ、どこにも仕官せずに旅を続けてこられたのだし」
宗矩「しょっぱい稼業ですよね、兵法者って」
忠明「金もかかるしな」
宗治「一発当てて、儲かる!モテる!という職業ではないからな。私も、義輝様、秀次様と有能な兵法の才を持っていた方が若くして死んでしまったのを見て、空虚な気持ちになってな。そんな時だ・・・師より別れの言葉と、餞別にとこの袈裟をいただいたのは」
宗矩「それは・・・」
忠明「・・・僧侶になれという意味だろうか?」
宗治「私もそれは考えた。実際、悩んだな・・・」
忠明「ん・・・秀次公の所には、疋田様もいたではないか」
宗矩「疋田様は秀次公が自害されて、どう思われたのでしょう」
宗治「ああ、文五郎は秀次様の死を悼みはしたが、すぐに修行の旅に出たよ」
忠明「割り切るのが早いな。それも戦続きの世で生きる術の一つだが」
宗矩「でも、結局宗治様も、兵法を続けることを選んだのでしょう?」
宗治「これがな・・・似合わないのだ、袈裟が」
忠明「似合わないなら仕方がないな」
宗矩「それは・・・そんなもんなんですか」
宗治「そんなもんなのだよ。結局のところ、私も兵法が、新陰流が大切なものだったのだよ」
忠明「だからこそ、生き残ったのだな、神影流が」

忠明「ところで・・・柳生、花車という技を知っているか」
宗矩「ああ、“天狗抄”の一つで・・・それが何か?」
忠明「その技だが、使うと必ず相手も殺すが、己が死に至ると聞いたのだが・・・」
宗矩「なんですか、その厨ニ設定」

つづく

神後宗治さんでした。この方は、確実な資料がサッパリないのでネタ探しに苦慮しました。
綿谷雪氏の『新・日本剣豪百選』には神後さんは「八王子の生まれ」とありますが、これも確実な話ではありませんし。
鈴木意伯=神後宗治も確実性はありませんが、この鈴木さんは上州に信綱が居た頃には出てこないし、いくつかの資料に登場するとき、同じシチュエーションの場面で神後だったり鈴木だったりするので、たぶん同一人物じゃないのかと思います。
あと、信綱の有名なイベント(逸話)でゲットしたアイテム(袈裟)を、神後さんが貰っていたりしますし。やはり師から一目置かれた方だったんではないでしょうか。

ちなみに、最後の「花車」という技の厨ニ設定は戸部先生の『秘剣・花車』より利用させてもらいました。
使ったら死ぬなら、どうやって教えるとか覚えるとかそういうことを思ってはいかんのです。

ひとまず、どうにかネタを使って会話を構築できてホッとしております。
次回は上泉のターン突入?です。

拍手を頂きありがとうございます。
本来ならば、ネタへの解説とか足りていない部分の補填とかを小幡にやらせるのが(景憲殿ごめんなさい)ベストだと思いますが、その辺は永続魔法「次の機会に使います」でどうか一つ。
それではまた次回~
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