FC2ブログ
03« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»05

行き当たりばったり 道中日記

  // 

信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告  /  tb: --  /  cm: --  /  △top

剣豪さ(略)~柳生友矩のまき~ 

柳生友矩(1613~1639)
宗矩の次男。十平衛の母はおりんであるが、友矩は側室の生んだ子供である。
通称は左門。剣術にすぐれた才能があり、また美形であることでも有名だった。
色々とあって致仕した兄・十平衛にかわって家光の小姓として仕えることとなるのは1627年のこと。
その後1634年には家光の上洛に、父と共に供奉し京都で徒士頭に任じられる。京都からの帰りには、駿府で従五位下・刑部少輔を受任。さらにこの年の冬に山城国相良郡に二千石を与えられる・・・というように矢継ぎ早に出世の道が開いてくる。
ところがその後、友矩は病を発して致仕して柳生の里に戻り、その後病が原因で27歳で没した。
彼もまた、その出世や急な病が後世の人の好奇心をくすぐり、様々なネタにされている。

友矩「ごほっごほっ」
忠明「む、大丈夫か?」
宗矩「ほっといて構いませんよ」
忠明「柳生、己の子供が病と言うのになんという冷たいことを!」
宗矩「そうやって病で同情を誘うのが左門の“病気”なんですよ・・・」
友矩「己の身の回りにある状況を最大限に利用することも、兵法の一つですからね」
忠明「・・・どういうことだ?」
宗矩「今の忠明殿のようになるのです、左門を見れば、皆」
友矩「みなさんとても優しくしてくださって・・・人って根底はみな優しさで出来ているんですね」
忠明「なんだ、優しくされることはいいことだろう」
宗矩「人の好意を否定するつもりはありませんよ。ただ・・・」
忠明「?」
宗矩「一番優しくして下さるのが・・・」
友矩「家光様なのです、ふふっ」
忠明「ふむ、家光様の覚えもめでたいとは良いことではないか」
宗矩「よくない、少しもめでたくないっ・・・!」
友矩「兄上の代わりにお仕えすることとなったこの身ですが、家光様は格別大切にしてくださいます」
忠明「家光様に格別、大切に・・・」
宗矩「そうです。ここまでくればいくら様々な事にニブい忠明殿とておわかりでしょう」
忠明「うむ、思い出した。尻一つで十三万石とかいうアレだな」
宗矩「その話はやめて!!」
友矩「やだなぁ、そう簡単にお触りなんてさせませんよ」
忠明「そうなのか?」
友矩「私は病弱が売りですから。見るのは良くても触ったら私は死ぬかもしれないとご注意申し上げておりましたから」
忠明「ふむ、しっかりしている」
宗矩「感心している場合ですかっ!よりによって、よりによって・・・!」
忠明「愛人を優遇するというのは、傾きかけた国でよくあることらしいな」
宗矩「たった三代で幕府が傾いたらたまりません!」
忠明「おまけに柳生家への風当たりも強くなってしまうしな」
宗矩「ううっ、胃が痛い・・・」
友矩「私も家光様も、単に親しい友人として仲良くしていただけなのですが、お互いにあまりにも周囲の反応というものに対して無知すぎたのです・・・気付いた時には、状況はもうどうしようもない物になっていました」
忠明「衆道の関係があったにせよ、ないにせよ、すでに周囲からは『衆道の関係で優遇されている』と認識されてしまっているわけか」
宗矩「十平衛の一件もありましたし、状況は非常によろしくありませんでした。柳生家だけが潰れるならまだいいですが、家光様が関わっている事であの方の将軍としての適性すら疑われかねない。三代目になっても、徳川幕府はいまだに不安の種をいくつも抱えた状態でしたから」
友矩「本当に申し訳ないことをしました・・・どうせ病で長くない人生なら、取れる相手から搾れるだけ搾って派手に人生を生きてやろうと思ったのがそもそも間違いでした・・・」
忠明「本当にしっかりしているな」
宗矩「方向性が明らかに間違っていますがね・・・誰に似たのやら」
忠明「お前だろ」
友矩「兵法を武士の心を鍛えるもの、そして政に活かす為につねに働いておられた父上のことは、尊敬しています」
宗矩「いや、その、なんだ・・・ははは」
友矩「そうして、公で働かれた後は、ご友人の家を訪ねて踊ったり、煙草を思う存分満喫なさって、仕事の疲れを適度に発散される・・・私もはじめから父上を見習って上様とお付き合いすればよかったと反省しています」
宗矩「・・・ほめてるのかなぁ、それ」
忠明「まったく、父の行いを見て良い所は真似なければならんぞ」
友矩「おっしゃるとおりです」
宗矩「いや、それはどうだろうか」
忠明「つまり、公の場で会わず、城の外でひっそりと会えば問題なかったのだな」
友矩「あっ、それ、いいですね!」
宗矩「よくない!!会う場所が変わっても根本が直ってない!」
忠明「むぅ、難しいのだな・・・さすが、衆“道”と言うだけあって、奥が深い」
友矩「さすが、小野様は目の付け所が違います。私も精進しなければ」
宗矩「・・・頭も痛くなってきた」

忠明「最近、具合が悪そうだな」
宗矩「・・・身内というのは、鏡を見ているようで」
友矩「申し訳ありません、父上。私が不出来な息子なばかりに」
宗矩「わっ、左門、こっちは楽屋だから」
友矩「家光様に気に入られて、出世したら、父上がもっと私を見てくださると思って・・・ごめんなさい!」
宗矩「こ、こら左門、泣くな、抱きつくな、こら、やめなさい!」
忠明「・・・柳生、まさか、お前・・・そういう禁忌の」
宗矩「ない!ないないない!私が好きなのは快活で知性のある女性ですっ!!」
忠明「真っ赤だぞ」
宗矩「・・・なにせ、側室にそっくりなもので。忠明殿こそ、真っ赤じゃないですか」
忠明「うっ、だって・・・横顔の、泣き顔がその、おなごのようで」
宗矩「我が子ながら・・・どうにもこうにも・・・」

つづく

宗矩親子はネタいっぱい。というわけで次男です。
柳生家の資料である『玉栄拾遺』には友矩の死後、彼の愛用していた櫃の中から「十三万石(一説に四万石)」の書き付けがあったそうで、宗矩が内々に家光に返上したらしいです。
病で急死というものほど、怪しいものはない上に、この疑惑の書き付け・・・伝奇作家が好んで題材に使うのも無理からんと思います。
また、同じ資料に彼の資質について「性質無双、文才ニ富、又新陰ノ術ニ長シ・・・」とあります。美形で文才もあって、剣術も長じているという、そりゃ惚れられてもしょうがないよねという書き方もされています。まぁ、あくまでも柳生側の資料なので、鵜呑みには出来ないでしょうけれども。

ちなみに、山岡先生の『柳生宗矩』では、友矩が家光といい仲になっているらしいことを友矩から聞くところで、息子の容姿を見て思わず顔を赤らめる宗矩の姿が描写されています。どうでもいい話ですが。

さて、次回は柳生の三男です。
スポンサーサイト
剣豪さんいらっしゃい  /  tb: --  /  cm: --  /  △top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。