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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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剣豪さ(略)~柳生宗章のまき~ 

柳生宗章(?~1603)
生年は1566年とも。石舟斎の四男で、宗矩の兄。
通称・五郎右衛門。
1594年に、父と弟・宗矩と共に徳川家康に招かれたが、この時には家康に仕官はせず、弟の宗矩が徳川家に仕官した。その後小早川秀秋に仕え警護役を務めたが、関ヶ原の戦いの2年後、秀秋の死によって小早川家は改易となり宗章も浪人してしまう。
このとき、中川一忠の家老・横田村詮(むらあき)に客将として招かれる。村詮は石舟斎の門人であったことから、その縁で招いたという。しかし、横田村詮はその才覚を妬まれた主君の側近らの甘言により暗殺されてしまう。
宗章は村詮の息子(または弟)の主馬助らと共に屋敷に籠もって奮戦したが、最後は槍を持ち、刀を幾本も携えて打って出て、新陰流の技の一つである『逆風』などを振るって戦い18人を斬って勇戦するも討ち死にした。


宗矩「五郎兄!!」
宗章「似てただろ?俺の迫真の新兄の真似」
忠明「真に迫っていたぞ」
宗矩「まったくもう・・・」
宗章「可愛い弟に久々に会うから、ちょっとはしゃいでみた」
忠明「二人は仲がいいのだな」
宗矩「年が近かったですし、話しやすかったというか」
宗章「遊びやすいんだよな~、又右とは」
忠明「宗章殿は厳勝殿とも年が近いのではないか?」
宗章「おう。新兄とは物心ついてから一緒に親父のシゴキを受けたもんだ」
宗矩「そう言えば、五郎兄は怪我をする前の新兄を知っているんだよな」
忠明「怪我の前と後で何か変わったりするのだろうか」
宗章「特に変わらなかったなぁ。もともと責任感の強いし、打たれ強いし」
宗矩「そうそう。普段は杖をついて歩いているけど、怒ると杖を振り上げて走ってくるし」
宗章「結構早いんだよな・・・最後は捕まって座らされて説教だった」
宗矩「今となってはいい思い出ですね」
忠明「宗章殿は兄上が怪我を負われて、家督を継ぐのは自分だとは思わなかったのだろうか?」
宗章「いざとなりゃ、そうなるのかな、とは思ったけど。又右が立派に成長したからいいんじゃねーかな、と考えなおした」
宗矩「それで、親父と密かに仕官の話を・・・」
宗章「だって、お前『世の中の荒れっぷりを見たら嫌になったからもう知らん』とか言って里に引きこもってたろ。伸びしろがあるのに勿体無いって思ってさ」
忠明「ほう、柳生がそんなに消極的だったとは、俺の見ていた柳生からは想像できんな」
宗章「又右は意外と繊細な所があるからな。そのぶん、物事に合点が行くとしっかりやりこむんだが」
宗矩「お、俺の話よりも自分の話しをしろよ!」
忠明「結局、家康様に招かれた時は宗章殿は仕官されず、小早川家に仕えたがその辺りをお聞きしたい」
宗章「小早川家で、殿の身辺警護を探していて、俺に声がかかったんだ。別に関ヶ原の戦いに関連して徳川へ寝返りを促すわけでも、又右に反発してってわけでもないんだぞ?」
宗矩「小早川殿への関ヶ原での裏工作は、黒田殿・浅野殿の両氏が行っていましたし」
忠明「関ヶ原の戦の後も、改易されるまで仕えておられるしな」
宗章「俺の腕を見込んでの警護役だったんだ。最後まで務めたさ。ただ、やはり裏切り者の烙印を押されての心労は秀秋様の心を押しつぶしてしまったのだろうな・・・」
宗矩「大谷吉継殿の祟りで取り殺されてしまったというウワサも流れましたね」
忠明「たたり・・・」
宗矩「忠明殿?」
宗章「ははは、吉継殿の幽霊は見ていないなぁ」
忠明「う、うむ。では次に米子の横田村詮殿のもとへ招かれた話を」
宗章「なにしろ色々とあった小早川家に仕えていたし、ほとぼりが冷めるまでは兵法修行でもしようかと思っていたんだが、親父の門人だった横田殿が是非にと招いてくださったんだ。さすがにいきなり仕官はなんとなく気が引けて、客将って扱いにしてもらったが」
忠明「一応聞いておくが、徳川に仕官するというのは」
宗章「そりゃないな。俺がそんなことをすれば、世間は柳生家は小早川を寝返らせる為に俺を潜ませたと邪推するのは目に見えている」
宗矩「それは私も考えました。だからあえて私から五郎兄にそういった働きかけはしませんでしたよ」
忠明「だろうな・・・ところで、同門のよしみで招いてくれるのは、嬉しいだろうな」
宗章「ああ。横田殿には感謝しているよ」
宗矩「だから最後まで・・・」
忠明「・・・義理を返したというわけか」
宗章「横田殿は、人格・才覚共に立派な人物だった。それを妬んで主君に讒言し、あろうことか暗殺するなど、武士のする行いではない。少しでも、それを行った奴らに、思い知らせてやりたかったのだ。おかげさまで、俺の意地も貫けたし、柳生の男は義理に死ねるという誉も得たし、いい人生だったと思っている」
宗矩「・・・」
忠明「柳生・・・」

宗矩「って、あなたが泣いてどうするんです!」
忠明「悲しいものは悲しいではないか。肉親が死んだら泣くではないか」
宗矩「いや、私の兄なんですけど・・・(あんたが泣いたら余計に泣けないじゃないか、もう・・・)」

宗矩「ところで・・・忠明殿ってもしかして幽霊ダメなほうですか?」
忠明「断じて違うぞ!!!」
宗矩「・・・そうですか」

つづく

宗矩のお兄さんその2です。
『明良洪範』(1684年頃書かれた)という資料には、なぜか宗章のことを「宗矩の弟」と書いています。話の内容も「松平直政のところへ出向いた時」の話で、この松平直政は生まれたのが1601年なので色々と時期が合いません。
「宗矩の弟」って・・・一体誰なんでしょうね。推測するに、宗矩の息子のいずれかではないかと考えられますが。
ともあれ、石舟斎の息子の中ではその最後の印象からも義理堅いという印象を受けます。そういえば、彼が招かれた横田村詮は家康によって中村一忠の後見役&家老として派遣されているんですよね・・・つい、宗章も実は徳川とずっとつながりがあったんじゃ、とか妄想してしまいます。


多少バテ気味でゆっくり更新ですいません。しばらくはこの調子になりそうです。
次回もまた「柳生の長男」の登場の予定です。
柳生家が終わったら、徳川の剣豪スペシャルを行う予定です。

それと、今年のコミケですが友人に便乗して出ようと思いましたが、お盆を優先せねばならない為出られません。すみません。
というか、同人活動自体そんなにできない状態なので、余ってる本をどなたかにお願いして置いていただく位なものです。一応、今やってる剣豪さんが終わったら、剣豪図録みたいな本にでもまとめてみようかなぁとは考えています。
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