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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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剣豪さ(略)~小幡さんの補足項目~ 

Obata5.jpg

御無沙汰しております。小幡景憲でございます。
夏場にこのようなむさ苦しい姿で失礼致します。

なんか、「主馬のことを補足し忘れたから説明しろ」と言われたんですが・・・それこそ柳生の方が説明をしたほうが手っ取り早い気もしますが・・・

あそこは尾張柳生家との軋轢もありますし、色々と大変なのでしょうな。
大名ともなると、背負い込むことが増えて難儀なものですね。

おっと、余計な話はこの辺にいたしまして、「主馬」殿のお話ですな。

主馬殿は、佐野主馬という氏名で、生まれは朝鮮と言われています。もともとは、氏もない素性のわからぬ者だったと言う話もありますな。
彼は優秀な武士であったらしく、柳生家の女性と結婚し「柳生」姓を名乗れるようになります。
老職にもついたようですから、柳生家からもだいぶ評価されていたようです。

尾張柳生の利厳殿と、江戸柳生の宗矩殿が決定的に不仲になる原因は、前回のお話にあったように利厳殿の妹君が主馬殿の妻になったということが原因です。
この利厳殿の妹君は、厳勝殿の長女であり伊賀国山崎惣左衛門に嫁ぎましたが、ゆえあって離婚してしまいます。

このケンカ別れの原因について、ちょっと考察してみましょう。

一、兄である利厳に相談をせずに、宗矩の一存で嫁ぎ先を決めたこと。
一、結婚相手が外国人であること。

主にケンカの原因はこの二点でしょう。特に、最初の一点はマズイでしょう。
叔父さんが勝手に縁組まとめて事後報告してきたらそりゃー私だって怒ります。
宗矩殿は、肉親ではないわけですから。
それに加えて、結婚相手はよりによって海の向こうの出自の人。国際結婚は400年後でも色々と大変だと聞きます。

新陰流の宗家は利厳殿が継ぎましたが、柳生家の家督は宗矩殿が継いでいます。
柳生家全体として見れば、現在の家長である宗矩殿の一存で縁組を決定すること自体は問題がないようにも見えますが・・・

恐らくは、感情の問題もあるかと思います。
兵法の流れを継ぐ利厳殿に共感する者と、家を継いだ宗矩殿に共感する者と、派閥のような構造が出来上がっていたのではないでしょうか?
例え上に立つ利厳殿と宗矩殿に対立しようとする気持ちがなかったにせよ、です。
家中でそれがいざこざとなり、決定的になれば、それは上に立つものの責任問題にもなりかねません。
きっかけが何にせよ、流派を継ぐ者と家を継ぐものは、つながりを絶たねば存続できなかったのかもしれません。

あと、これは個人的なツッコミですが・・・
肝心の、利厳殿のお父上・厳勝殿はこの縁組のことを事前に知っていたかどうか?そして、この縁組についてどのような意見を持っていたのか?それについての言及はありませんよね。
自分の娘が、父親の意見を介さずに嫁がされたら、兄よりも父が最初に出てくると思いますがねー

この一連の出来事も、柳生を守るための方策のひとつだったら、柳生家すごいですねー

うちの宗家の人にもこれくらいの甲斐性があったらねぇ・・・

いやいやいやいや!ああいう人だから逆にイイ!純真でまっすぐで融通の利かないところがいい!

以上、不肖小幡でした。
次回の柳生新陰流はどなたがいらっしゃるのか?お待ちください。
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