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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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剣豪さ(略)~斎藤勝秀のまき~ 

斎藤勝秀(1550~1587)
伝鬼坊(伝鬼房・伝輝房とも)。幼名は金平。
常陸真壁の生まれ。父は北条氏康に仕えていたらしい。
幼い頃から兵法を好み、塚原ト伝の門下となり武芸を磨く。鶴岡八幡宮に百日参詣し、不思議な修験者に出会い兵法の極意を教わった。この時、修験者が去り際に天を指差した事から自分の流派を「天流」と呼ぶようになった。
上京中、兵法達者として名が聞こえたので天皇に兵法を天覧し、判官の位をいただいた。その後、帰郷して天流は人気の兵法となるが、霞流の者たちと衝突が起こり、霞流の達人である桜井霞之助を立ち合いで倒す。その報復に、霞之助の弟子たちによって弓を射掛けられて殺された。


勝秀「おいおい、俺の勝負服だぞ、なんでダメなんだい?カラスの羽で作った羽織」
忠明「そうだぞ、ふわふわだぞ柳生」
宗矩「兵法の具流にはいいのまもしれませんが、出仕するのにその格好はダメでしょう」
勝秀「修験者のおっさんが、これからのモードの最先端だって言ってたのになぁ・・・」
忠明「廻国兵法者のスタイルの一つではあるな」
宗矩「・・・その修験者殿から、兵法の奥義を教授されたのではないのですか?」
勝秀「だから、兵法の実技から、他人と差をつける着こなしまで習ったんだよ」
宗矩「・・・そこまで教えてくれるもんなんですね」
忠明「親切だな」
宗矩「で、その流行の格好で京の都まで?」
勝秀「そうだよ。京娘にもキャーキャー言われたんだぜ!」
宗矩(きっと悲鳴と言う意味だろうな・・・)
忠明「ふん、おなごに鼻の下を伸ばすのは感心せんな」
勝秀「またまた、あんたもキャーキャー言われるほうだろう?」
忠明「う、うるさい!!」
宗矩(かわいいと言う意味でよく・・・)
勝秀「で、京都で名前が売れてきたときに、帝の御前で演武をする機会を頂いたんだよ」
忠明「・・・そこがわからん」
勝秀「うん?何か?」
忠明「帝だぞ、そう簡単に天覧など出来るものなのか?」
宗矩「忠明殿、たまにはまともな指摘をしますね」
忠明「当然だ」
勝秀「そりゃ、俺の腕前が目に止まったからだろ」
宗矩「こう言っては失礼ですが、あなたと同じほどに兵法を扱える人間は同じ時代に結構いたと思うのですが・・・なぜ勝秀殿だったのでしょう?」
勝秀「ふむ、もっともな疑問だよな。理由は、たぶん俺にコネがあったから。だな」
忠明「コネだと・・・」
勝秀「あ、悪い事だなんて思うなよ?誰かのツテでどこかの大名に仕官するとか、そういうものを持つことは兵法者だって必要なんだぜ?あんたらにも、無いとは言わせねぇ」
忠明「う、それは・・・」
宗矩「忠明殿が徳川家に仕官できたのも、一刀斎先生のコネですもんね」
忠明「お、お前だって親父のコネのくせに!」
宗矩「俺は親父に一言も頼んでねーよ!!あいつが勝手にっ」
勝秀「と、言うように、大事な要素だろ。良く言えば人脈ってやつかな」
忠明「だが、コネだとしても、そう簡単に天覧できるものなのか?」
勝秀「他にも色々と・・・な。ほら、朝廷って当時は資金もないし・・・」
宗矩「随分色々と根回ししたんですね」
勝秀「実力も必要だけど、そういう努力もないとな。表面上は奇麗事言ってても、水面下ではジタバタ水を掻いてるもんだろ」
忠明「そうだな、兵法修行だって血泥まみれになるし・・・」
宗矩「自分の地位を築いたのが、お天道様に正面から立てるようなものだけではないのは確かですね」
勝秀「そんなもんだろ。そして、そういう行動には何かの代償がつくことも。名声を得る代わりに、失うことものもあることを覚悟してたぜ」
忠明「それで、結果的に命を失ったということになるな」
勝秀「何がどう動くかなんてわからんよ。少なくとも帝に俺の兵法を見ていただき、故郷に錦を飾れたことで満足してる。流派を後まで伝えてくれたことは、素直にありがたいと思う」

宗矩「上泉伊勢守さまも、友人に山科言継卿がいらっしゃったから、その筋から天覧にこぎつけたんでしょうね」
忠明「どんな方にも、様々な苦心があるものだな」
宗矩「他者とのつながりを持つと言うことも、世の中に暮らす以上は必要ですよね」
忠明「そうだな」
宗矩「そう思うんでしたら、もう少し幕府に迷惑をかけないようにですね」
忠明「俺としては最大限努力しているのだ!」
宗矩「そ、そうなんですか」

つづく

斎藤伝鬼坊さんでした。
天流は、現在は主に薙刀を得意とする流派として、京都を中心に現存しています。「天道流」という名前になっています。また、この流派の日夏繁高という人が、武芸の達人について記した『本朝武芸小伝』を書いています。
伝鬼坊が天皇に技を見せたことに関する「コネ云々」の話は、私の個人的な想像です。毎度、すいません。

じばらくはまだト伝先生の弟子が続きます。
剣豪は人数が多いので、自分でも終わりが見えません。気長にお付き合いくださいませ。
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