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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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剣豪さ(略)~古藤田俊直のまき~ 

古藤田俊直(生没年不詳)
通称は勘解由左衛門(かげゆざえもん)。号は唯心。
勘解由使という監査の役職が平安時代にあったそうだが、それと関連した名前なのだろうか。北条家に仕えており、伊東一刀斎の弟子では最も一般人がお付き合いしやすそうな印象がある。彼は一刀斎の兵法について記しており、『一刀斎先生剣法書』が唯心一刀流(現在は失伝)に伝書として伝わり現存している。

※毎度のことですが、管理人の主観と妄想がダイナミックに合成されております。今回は特に。そんな感じでゆるく見てやってください。

俊直「古藤田俊直です。お初にお目にかかります」
宗矩「柳生宗矩です。どうぞよろしくお願いいたします」
忠明「古藤田殿には師匠のもとで修行中、いつもお世話になっていたのだ」
宗矩「そうでしょうねぇ・・・一刀斎先生との出会いはどのようなものだったのでしょうか?」
俊直「あれは、天正十二年の夏でしたか・・・三島神社の宮司に知己がおりまして、類まれな兵法者がいるので会って見ないかと言われまして」
忠明「三島神社というと、師匠が流れ着いた・・・」
宗矩「俊直殿は後北条家に仕えておられたのですよね、その頃は」
俊直「ええ。羽柴秀吉殿が台頭してきて、北条家も去就をどうすべきかを考えねばならない時期に入っておりました」
宗矩「そんな時に、一刀斎先生のお話が」
俊直「もともと、小田原城下にはさまざまな人々が集まりますし、商人・職人・兵法者・・・楽市を実施しておりましたから。その中でも実力のあるものは、召抱えられたりもするのですよ」
忠明「では、師匠も北条家に仕官を?」
俊直「いえいえ、単に新当流を使う私の腕前を聞き、一手立ち合いたいとそう言う訳だったようですよ。御師が兵法以外には興味をもたれぬのはその頃からですな」
宗矩「三島神社と一刀斎先生の関わりは深かったのでしょうか」
忠明「確か、甕割り刀を譲り受けたと聞いているが」
俊直「そうです。流れ着いてから世話を焼いてくれたそうで、兵法者として一流を立てたら戻ってくると言い残して旅に出ていたそうです」
宗矩「それで、一刀斎先生との立ち合いはなされたのですか?」
俊直「完敗でした。御師の剣は、一刀万刀、即意即挙、機に応じて変化することまさに玄妙で、まったく太刀打ちできませなんだ」
忠明「そうですね、師匠の剣は・・・ゆるやかに動いているはずなのにかわせず、確実に当てられてしまう」
宗矩「確かに・・・達人の先の域に達すると兵法は神妙なものになりますね」
俊直「出会った事の無い兵法を目の当たりにし、私はその場で弟子入りを申し込みました」
宗矩「北条家を出てしまったのですか?」
俊直「いえ、主家には仕えたままです」
忠明「師匠は古藤田殿の屋敷を拠点に、修行の旅を続けた。たまに戻ってきて、くつろいでおられたな」
宗矩「なるほど、漂泊の旅をされていたと聞きますが、帰る場所はあったのですね」
俊直「御師には、技術と理を説いていただき、私はそれらを忘れぬように書き留めていました。もともと、兵法を行うよりもその理念について考察するのが好きでしたし」
忠明「古藤田殿は筆まめだからな」
宗矩「なんで正統を引き継いだ人がそういうのやらなかったんですか」
忠明「言葉で語るよりも剣で語ったほうがわかりやすいだろうが」
宗矩「それは、そうですが・・・」
俊直「ははは、それでいいのですよ。柳生殿、人にはそれぞれ得手不得手があるものです。私は、典膳のように剣で人を教えることはできませぬ。しかし、御師が残した言葉を綴ることは出来ますから」
宗矩「そうですね・・・各々のやり方で、最善と思える手法で、後に続く者たちへ先人の心を伝える・・・」
俊直「小田原城が豊臣軍によって包囲され、結果北条家は滅び、城も落ちてしまいましたが、私の一族はどうにか生き延びることができました。調度その後です。一刀流の正統を継ぐ為の、尋常の立ち合いが行われたのは」
忠明「・・・」
宗矩「それは、忠明殿と兄弟子の―」
俊直「御師には迷いがありました。仕官は望んでいない、しかし大きな後ろ盾がなければ、作り上げた技も心もこの先伝えて行けなくなってしまうかもしれない。それでいいのだろうかと・・・考えた末、二人の愛弟子に一刀流の進む先を占わせたのです」
宗矩「・・・そんな」
俊直「典膳が勝てば、徳川殿に仕官し、一刀流を世に喧伝する。善鬼殿が勝てば、全ては無に帰す・・・と」
忠明「俺も善鬼も、納得してのことだ。いずれはぶつかる問題だったのだ」
宗矩「それで、忠明殿が勝った」
俊直「この小金原での決闘は、一刀流にとっての岐路でした。私はこの戦いの結果を見届け、相模を去りました。そして、美濃の戸田氏信殿のもとに身を寄せました」
宗矩「戸田氏信殿と言うと、大垣藩ですね」
俊直「ええ。氏信殿はまだ幼かったですが、剣をお教えしながら静かな暮らしをさせていただきました。おかげで、御師の教えを記した記録もまとめる時間を得ましたし」
忠明「古藤田殿は、その後師匠のお噂は・・・」
俊直「さて、仙人になったとか、剃髪して仏門に入られたとか・・・果ては大谷刑部殿の師匠になったという噂まで聞きましたが、私にもわかりませぬ」
忠明「そうですか、俺も手を尽くしてもわからなかったし・・・」
俊直「ふふ、典膳は甘えん坊だね。相変わらず」
忠明「そ、そんなことは」
宗矩「へー、甘えん坊ですか」
忠明「ち、違う!」
俊直「典膳は素直に相手に好意を伝えるのが下手だよね。もっと器用に動けば物事やりやすいだろうに」
忠明「俺は、そんな真似はできませんっ」
宗矩「ですね、もっと器用な忠明殿なら・・・」
俊直「器用な・・・」
宗矩「・・・器用に立ち回る姿が思い浮かばない」
俊直「・・・これじゃ善鬼殿には負けるだろうなぁ」
忠明「や、やめろ・・・やめてください!妙なことを夢想しなくていい!!」

つづく

一刀斎の一番弟子は善鬼ということで描いてます。古藤田さんは礼儀正しい設定なので兄弟子には敬語です。
何しろ資料の少ない方なので、少ない情報に妄想を合わせて会話を作成してみました。
『一刀斎先生剣法書』は俊直さんの息子さんが完成させたんだったかな?
山形大学でこの資料を現代語訳して研究した論文があり、一部ネットで公開していたので拾って読んでいますが、原文と対訳があって非常に読みやすいです。
序文の内容から、この書の執筆者は沢庵和尚の「不動智神妙録」を呼んでいるフシがあるとも書かれてあり、興味深いです。忠明にも沢庵は自著を渡しているという説もありますし、これから色々妄想の余地がありそうです。

次回は一刀流の一番弟子・善鬼です。しばらくは忠明がうろたえることになりそうです。
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