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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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剣豪さ(略)~小幡景憲のまき~ 

小幡景憲(1572~1663)
通称・勘兵衛。甲州流軍学者としても有名らしい。司馬遼太郎の『城塞』という小説で主役を張っているが、真田の紅いのとか又兵衛桜の人ばかり目立ってるらしい。そこのとこどうなのかと思う。でもそこが小幡(ry
柳生宗矩とは1歳しか違わない。(だからどうってことも無いが)。そして没年は92歳。長生き。

忠明「さて、はじめようか。勘兵衛殿」
景憲「はっ、はい・・・あと、殿は怖いので・・・やめて・・・くださると・・・ですね」
忠明「ほう?始めから要求とはたいしたものだな、勘兵衛殿」
景憲「ひぃっ!す、すいません!ごめんなさい!」
宗矩「あーもう。忠明殿、その辺で勘弁してあげては?小幡殿ですし」
忠明「ふん・・・まぁ、小幡だからな。今回はこれで勘弁しておくか」
景憲「申し訳ありません!もう調子には乗らないようにしま・・・って小幡だからって何!?」
宗矩「ははは、気にしないで。ともかく始めましょう」
忠明「さっさと始めろ」
景憲「(そうか!俺だからこそあんな失礼も見逃してくださったのだ!やっぱりさすが俺!)はい!なんなりとお聞きください!!」
忠明「・・・」
宗矩「(若干忠明殿が頭を抱えている・・・面白い)えっと、勘兵衛殿は旧武田家臣の」
景憲「はい!父が小幡昌盛と申しまして、私は三男です!勝頼さまが亡くなられた頃は10歳でした!」
忠明「・・・声がやかましい」
景憲「ごっ。ごめんなさい!」
宗矩「まぁまぁ、それで、武田氏滅亡後はどうなさったのでしょう?」
景憲「父も天正10年に亡くなり、行くあてもない所を、徳川家に拾われまして。家康公が私の才能に目をお留め下さり、秀忠様の小姓としてお仕えすることになりました!」
忠明「・・・で、出奔するんだろう」
景憲「ううう・・・それは。だって、軍学と兵法を学びたくて学びたくて、居てもたってもおれず」
宗矩「それで自分を拾ってくれた主家を飛び出すのも、どうかと思いますが」
景憲「い、一応、家康公にも秀忠様にも了解は取ったんです!」
忠明「どんな風に?」
景憲「ええと、兵法修行のフリして他国の様子を探ってくるからお願いしますって」
宗矩「純粋な出奔が、急に後ろ暗くなって来ましたね・・・」
忠明「それで、俺のところに来たのか」
景憲「はい!最初に出会った頃から、師匠の元で学びたいと思っていましたから」
宗矩「お二人の面識はいつから?」
忠明「文禄2年(1593)だな。俺が徳川家へ仕官する時、主に交渉をしたのがこいつだ」
景憲「その折の仕官に際しての剣術披露で、師匠の剣術の美しさに惚れ込んでしまいまして」
宗矩「なるほど・・・って忠明殿の所に入門したなら、小姓をしながらでもよかったのでは・・・」
忠明「こいつは弟子だったが、たまにふらりと姿を消すのだ」
景憲「一刀流の稽古をしつつ、合間に足腰の鍛錬がてら旧武田の領内を見聞して来たりしておりました」
宗矩「欲張りなんですねぇ」
景憲「大変ですけど、充実してて楽しかったですね!」
宗矩「それで、徳川に戻ってこられると」
忠明「調度関ヶ原の戦が起こる前だったか」
景憲「ですねー。合戦のときは、井伊直政殿の軍で先鋒として戦い首級を挙げました!」
宗矩「ああ、あの時は御活躍なさってましたね。私は家康公の側で見守るばかりでしたから」
景憲「柳生殿は後方で一族の方々も補佐をされていたそうではないですか。お互い頑張りましたよね!」
忠明「・・・」
景憲「師匠も上田では上田七本槍と称されるお働き、一刀流大活躍でしたね」
忠明「・・・まぁ、そうだな」
宗矩「しかし、その後大坂夏の陣では前田家におられますね」
景憲「ええ。名人越後の富田重政殿の技がじかに見たかったので!」
宗矩「あなたも大概、兵法数寄ですねぇ」
忠明「前田殿の担当は、真田丸だったな。俺もそっちがよかった」
宗矩「将軍家指南役が揃って激戦区の先陣にいたらダメでしょ、主君も持たずにいた勘兵衛殿だから出来る事です」
景憲「夏の陣のあと、いきなり豊臣方の大野治長殿の弟の治房殿からお誘いを受けた時はびっくりしましたけどね」
忠明「いつまでもフラフラしているからだ」
景憲「とほほ・・・勉学の旅の口実が、ここに来て本気でこなさねばならなくなって、苦労しました」
宗矩「いい機会だから、そのまま大阪城に潜り込んで内情探って来い。異論は認めないって言われてましたよね」
景憲「これまで好き勝手にさせていただいていたぶん、ここでこれまでの修行の成果を見せようと、私も腹をくくって望みました。途中で内通がバレそうになったりして冷や汗かきましたけど、ちゃんと板倉勝重殿に情報を知らせていましたし、無事に脱出して来れました」
忠明「役目を果たしたことは評価できる・・・しかし、後がな」
宗矩「そうですね、後が・・・」
景憲「うう・・・何かありましたっけ?」
忠明「お前、大坂での働きを手柄に、諸大名に己を売り込んだだろうが」
宗矩「でもどこも召抱えてくれなくて、泣きながら戻ってきましたよね」
景憲「わ、忘れていたかった・・・恥ずかしい!」
忠明「大坂へ潜入して内情を探っていた相手を、誰が好んで側に置くものか」
宗矩「自分の家も、内情探られると疑いますよね」
景憲「あの時はいけると思ったんですけどねー・・・」
宗矩「・・・大物ですよね」
忠明「腹黒のお前と違って、小幡は頭は切れるが阿呆だからな」
宗矩「天然ですか、うらやましいと言うか・・・真似できませんね」
景憲「なにはともあれ、また徳川家に拾っていただいて、自分なりの軍学もまとまって、弟子も沢山指導できたので最後まで充実した日々を過ごすことが出来て良かったですねー」
宗矩「92歳でしたっけ・・・大往生じゃないですか」
忠明「小幡だからと思えば納得が出来るな」
宗矩「ですねぇ・・・小幡殿だから」
景憲「もーっ!なんなんですか、私そんなに面白くありませんよ?」
宗矩「さすが、忠明殿の一番弟子ですよね」
忠明「どういう意味だ」
宗矩「いい意味です」

つづく

小幡景憲のイメージは「大阪城でのスパイ行為を自慢げに諸大名に吹聴して歩いた」という逸話で出来ています。
大物の風格です。確かに出来る男なのかもしれませんが、せめてオフレコで話せよ・・・記録されてるじゃんってね。
軍学では2000人も弟子がいたとか、彼の軍学書は徳川幕府の教科書にされたとか、頭のいい話もあるんですけど、上の逸話がどうしても気になって(笑)
小説では徳川の命を受けてあちこち探っていた役割が多いですし、実際そう取れる動きをしていますが、せっかくなので兵法と軍学大好きで天然っぽい人にしてみました。(うちはこんなんばっかりですが)

小幡景憲のお墓は、東京都池袋駅から歩いて行ける法明寺(日蓮宗)にあるそうです。「小幡一族のお墓」がまとまってるそうです。こりゃー、またいずれお参りに行かねば。忠明の弟子だし。法明寺には、小幡さんのほかに明治時代の落語家のお墓もあるそうです。・・・楽しげなお隣さんがいるんだね、小幡さん。(関連は無いだろうけど)

次回は古藤田さんです~。
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