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行き当たりばったり 道中日記

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信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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剣豪さん(略)~中条流・中条長秀のまき~ 

中条長秀

宗矩「今日は中条流中興の祖、長秀殿にお越しいただきました」
忠明「・・・」
長秀「どうぞよしなに」
忠明「・・・」
宗矩「忠明殿、何難しい顔をしてるんです?」
忠明「中条流は一刀流の源流だから、長秀殿は師匠の師匠の・・・」
宗矩「・・・あんまり考えないほうがいいですよ」
長秀「我が“平法”が後の世まで伝わっているのですね、ありがたいことです」
宗矩「いや、どちらかと言うと凶悪になってるような」
忠明「純粋に剣法としての精度を高めたまでだ」
長秀「技法としての平法を高めていただけるのは本望ですよ。まだ、私のいた頃は技法とすら呼べない、個々の才能に頼ったものでしたから」
宗矩「長秀殿のおられた室町の頃はそうだったのですか」
忠明「剣だけによらず、武芸はまだ体系化されていなかったと」
長秀「ええ。しかし、我が中条家はその頃から独自の剣術を編み出して」
宗矩「そういえば、中条家って足利将軍家で評定衆を務めていたんですよね」
忠明「評定衆とはなんだ?」
宗矩「もともとは、将軍の独裁をふせぐ合議機関なんですけど」
長秀「単なる名誉職ですよ、たいしたことではありません」
忠明「将軍から信頼されていたのだな」
長秀「ありがたいことに、守護職もいただき、私は義満様の指南役も務めていました」
宗矩「それほど重きを置かれた中条流とは、どのようなものなのでしょう?」
長秀「もとから伝わる中条家伝来の技に、友人であり師でもある慈音殿に教えてもらった念流の技を組み合わせて再構成したのです」
忠明「中条流の口伝なら、師匠から教わったことがあるぞ。一刀流の奥義である無想剣もその口伝にあった」
宗矩「平法とは平和の法なり、は神道流の理念ですが。同じく兵法は平らに、戦を好む法ではないという考興味深い一致点ですね」
長秀「私のその考えの根底は、慈音殿の剣とは己を磨く技であるという考えに大きく感銘を受けたことによります。人を殺傷する技ではなく、その技を持って己の身を守り、人と和合する・・・それが真の兵法と思い至りました」
宗矩「やはり、突き詰めていくと兵法とはそういうものですよね!」
忠明「心も技も未熟であれば、いたずらに争いを生むことが多いからな」
長秀「どうも、私が死んだあとの中条家は不幸にして幕府の中で立場を失い、消えていくことになるようですが・・・心ある人々に技と精神を伝えていただいたことは幸せですね」
忠明「良い技はおのずと伝わっていくものだ。中条家の方々の苦心の想いがあってこそだな」
宗矩「長秀殿、今日はどうもありがとうございました」
長秀「あなた方の技も、沢山の人の手を経て伝わった集合体ですから、お互い大切にいたしましょう」

宗矩「いや・・・充実したお話でしたね」
忠明「・・・柳生」
宗矩「なんです?」
忠明「それで、あの方は俺の師匠の師匠の師匠の・・・どのくらい前の」
宗矩「・・・・・・すごい前の大師匠様とかでいいんじゃないですか」

つづく

中条長秀さんです。慈音との友人設定は個人的な想像です。長秀は1384年没で生年は不明。慈音は1351年生まれで没年が不明。お互いの生没年を合わせてみると、長秀が慈音の弟子であったというのはかなり晩年のことになりますね・・・まぁ、慈音は18歳で剣の秘奥を会得したそうなので、それを踏まえれば無いことも無さそうですけれども。
歳の差があっても、友達だったらいいなーという妄想です。
中条流は念流の派生ということになりますが、今回は独立して扱いました。
次回も引き続き中条流系統の方でお送りします。

拍手ありがとうございます!
お返事は次回させていただきますので。
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