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行き当たりばったり 道中日記

  // 

信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

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戦国最強!爺軍団~序~ 



年内にうpるという無駄な努力の元、作ってみました。

みなさまよいお年をお迎えください。
来年は、月イチか隔月ペースで爺列伝を作れたらなと思ってます。
関東武将も引き続き行っていきますので、よろしくお付き合いください。

今年もお世話になりました。


動画中の劇伴曲リスト

Winter Dance - Uttara-Kuru
半熟英雄~ああ、世界よ半熟なれ~ 『上を下への大騒ぎ、ほんだらへんだら、』
信長の野望 天下創世 『夢枕』
信長の野望 online 『海国』
信長の野望 天下創世 『逆巻く危惧の感、想い遥か』
信長の野望 覇王伝 『足利義昭のテーマ』
信長の野望 天下創世 『血の対峙、散りゆく花』
その時歴史が動いた 『メインテーマ』

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ノブヤボネタin関東武将:エピソード4 

UjiYoshiNobu.jpg

氏治「はっはっは!小田氏治が参ったぞ!」
義昭「・・・・・・・・・なぜ」
氏治「おお、佐竹義昭殿!」
義昭「すいません、間違えました帰り」
氏治「里見殿から、今日のお相手は義昭殿だと聞きましたぞ」
義昭「・・・・は?」
氏治「いろいろと縁のあるお二人だから、積もる話もあるでしょうと言われてな」
義昭「・・・・・・・・私はその黒い魚に、ここで待てと呼び出され」
氏治「ははは、びっくりどっきりですな!」
義昭「あっはっはっはっは、そうですね、あとであの魚民には色々と言っておきましょう」
氏治「そうしてくれ、我らも史実では衝突ばかりだったが、ここでは穏やかに話せる機会を得たのだからな」
義昭「小田殿、あなたという人は」
氏治「ん?」
義昭「本当に馬鹿ですね」
氏治「な、なんだとー!」
義昭「褒めているのですよ」
氏治「む、変わった褒め方だな、義昭殿はツンデレか」
義昭「・・・・・・・ともかく、信長の野望・革新での能力値をお見せしますよ(とっととやって早く帰って寝よう)」

【武将能力値@革新】
小田氏治
統率40 武勇19 知略38 政治42 義理57
足軽D 騎馬C 弓D 鉄砲D 計略D 兵器D 水軍C 築城C 内政D

菅谷勝貞
統率75 武勇69 知略77 政治51 義理93
足軽C 騎馬B 弓B 鉄砲D 計略A 兵器D 水軍C 築城D 内政C

義昭「ついでに、小田家の守護神である菅谷殿もご紹介いたしました」
氏治「我もそこそこだろう?」
義昭「そうですね、すぐに奉行所に栄転できそうですよ」
氏治「ふふん」
義昭「しかし、つくづく菅谷殿のご苦労が偲ばれますね。能力値は苦労の証でしょう」
氏治「勝貞は、我がどんなに無様に負けようとも、片時も側を離れず、力になってくれたからな、当然だ」
義昭「是非とも、我が佐竹に加わり、常陸統一に力を貸していただきたいものです」
氏治「最初からそのように言ってくれれば、我とて考えもしたというのに」
義昭「・・・本当に?」
氏治「んー、でも気分で変わるかも知れんな」
義昭「そんなんだから、上杉にも北条にもフルボッコされたんじゃないですか・・・」
氏治「我は退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」
義昭「はいはい、その調子で軍神にでも突撃してきなさい」

義堯「よっ、おつかれちゃん」
義昭「・・・・・・おい、この馬鹿魚民、謀りやがりましたね」
義堯「なんのことやら、自分はお義兄様に言われたとおりにしたまでですよ?」
義昭「吐血の代償がここまでとは、ね」
義堯「命の賭け所、間違ったな」
義昭「私がまるで、小田にばかりかまけていたように言うな」
義堯「あれま、違うの?」
義昭「・・・霞ヶ浦が魅力的だっただけだ」
義堯「ごもっとも・・・なんであんないい場所に、ああいう手合いが根を張っていたんだかねぇ」
義昭「我々には計り知れない、魅力があったのだろうな、小田氏治という男には」
義堯「そうなんだろうね、ところで」
義昭「なんだ」
義堯「どうでもいいけど、小田さんが聖帝みたいな台詞言いながら軍神方面へ走って行ったが」
義昭「・・・なんでだ」
義堯「さあ・・・その辺も俺たちには計り知れないってことだろうよ。菅えもんに連絡しておくかー、それではみなさん、ごきげんよーう」

おわり
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爺讃会 



前回の爺動画のネタ解説動画を作りました。
この一週間、ちまちまと。

爺動画が、自分で思ったよりもご視聴いただけたので、感謝も込めてあれこれ小ネタを詰め込んだら、なんか長くなりましたよ的な。

すいません、それでブログの更新してませんでした。
来週はちゃんとやります。

でも、ノブヤボのチート爺はまだいらっしゃるので、次回もまた何か考えたいですね。

拍手ありがとうございます。
お返事です。

香澄さま
どうもです。
やっぱり忠明はみんなから猛獣扱いされているといいなぁと。
でもって、家康には超なつき、秀忠にもそれなりに、柳生はうまく動かしてるけどなついてるかは微妙・・・なかんじです。
動画もコメントありがとうございます。黒一点は思い付きですが、面白かったら嬉しいです。


12/17コメント下された方へ
はじめまして。いつもご訪問ありがとうございます。
サイトのほうですが、自分で確認した限りは問題なく動作しております。
もしかしたら、サーバーのほうの不具合だったかもしれません。
また見れないようでしたら、ご一報ください。
ありがとうございました。

ニコニコ動画  /  tb: 0  /  cm: 0  /  △top

戦国最強!爺軍団 

前回は、テストでアップした、宗矩と忠明の意味のない会話でしたが、今回はネタ要素強めで作ってみました。



強くて頼れるおじいちゃん武将は大好きです。
という想いを込めて作りました。

ノブヤボ・革新だと、一番早いシナリオで始めても、ラスボスが寿命と言うおじいちゃん軍団。
全員そろえるのは、至難の業でしょう。寿命・長めならなんとか・・・

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坂東の不死鳥・小田氏治 

小田氏治(1534~1602)
常陸の戦国武将。小田家の十五代目当主。
小田氏の源流は藤原北家八田流とされ、時の関白の孫が宇都宮氏を作り、宗家の弟が小田家の祖である。源頼朝の家臣の中にその名があり、頼朝から常陸守護に任ぜられている。鎌倉幕府より、『関東八屋形』にも名を連ねた名家であるが、その地位は安定せずに周囲の佐竹氏などに脅かされ続けていた。
それは、小田氏治の代も同じだった。父の政治は、周辺の勢力と戦って小田氏の勢力を拡大させていったが、天文十四年(1545)の河越夜戦では足利晴氏に付いて戦うも、北条家に敗北しており、政治の晩年にはすでに小田家の周囲は不穏な流れになっていた。
天文十七年(1548)に父が死去し氏治は家督を継ぐ、その時十四歳。
河越夜戦は、関東の諸将に衝撃を与え、北条氏に付くものも増えていた。そんな中で、弘治元年(1555)、関東に出兵して来た長尾景虎に呼応して、北条氏側に傾いていた結城政勝を攻めるも、敗北。
翌年、結城政勝は北条氏康と小田氏攻略作戦を開始、二月に北条&結城さんとゆかいな仲間に、小田領内の海老島城を攻められ、援軍を出すも城は落ち、勢いに乗った結城政勝に居城の小田城までも奪われてしまう。しかし、八月に奪還に成功。
さらに翌年の弘治三年(1557)には佐竹義昭に海老島城を攻め取られる。永禄元年(1558)に、多賀谷氏の下妻城を攻めるが、佐竹氏が援軍に来て負ける。その後も佐竹義昭は攻めてきて、都合三回も小田城を退いて土浦城(菅谷勝貞親子の城)に逃れている。
永禄二年(1559)には、小田城を奪還し、勢いに乗って結城氏に奪われた領地を取り戻そうと攻めるも失敗。長尾景虎の介入もあり、佐竹氏とは和睦をする。
永禄三年(1560)、佐竹氏や宇都宮氏と接近した氏治は、結城晴朝(政勝の子)が古河公方のもとへ年賀の挨拶に出かけている隙を狙って佐竹・宇都宮と結んで攻めた。結城氏の本拠・結城城は落城寸前となるも、古河公方の仲立ちによって和睦した。翌年、長尾景虎の小田原城攻めに参加している。
しかし、永禄六年(1563)氏治は景虎との約束を破って北条・結城に接近。北条氏に味方すると宣言。翌年、怒った景虎に攻められる。小田城はまたも奪われ、一度は取り戻すがまた奪われる。
永禄八年(1565)に佐竹義昭が没すると、これに乗じて小田城を奪い返す。・・・が、翌年、上杉謙信の全力の攻撃でやっぱり敗北。小田城は没収。その後五月に、どういうことか太田資正親子が氏治を頼ってくる。氏治は、太田資正を片野城、息子・梶原政景を柿岡城に住まわせたが、なんとその年の六月には佐竹義重に城ごと寝返った。
怒る氏治は、永禄十年(1567)に小田城を奪還。
ここまで何度も小田城を奪還してきた氏治だったが、永禄十二年(1569)に佐竹義重に敗れて奪われると、その後奪還することはかなわなかった。
この後も佐竹氏と争うも、ついに天正十一年(1583)に佐竹氏に孫を人質に出して降伏した。(しかし、実際は佐竹に奪われた旧領を奪い返そうとちょっかいを出していたもよう)この頃に「天庵」と号する。
天正十八年(1590)の豊臣秀吉による小田原城攻めに参加せず、佐竹を攻撃していたとして、領地を全て没収される。その後、秀吉の臣下となることは許されず、娘が嫁いでいた結城秀康を頼る。慶長七年(1602)、越前にて没。死後、墓は常陸に移された。


※ここから先は見なくても大丈夫なコーナーです。

氏治「どうだ!この充実した情報量!」
秀綱「というわけで、坂東の不死鳥こと、小田氏治殿です」
業正「よし、もう帰ってもらえ」
氏治「なんだ、遠慮することは無いぞ!我は名家だが、気兼ねすることは無い!」
業正「しゃじけてらぃね!」
氏治「な、なんだ?」
秀綱「我が地方で、調子に乗った子供を諭す言葉ですよ」
氏治「どこに子供が?」
業正「・・・まぁ、いい」
秀綱「それにしても、すごい経歴ですね」
氏治「そうだろうとも!」
業正「確かに、ここまでやるかというくらいの負け続けだな」
氏治「負けて終わらないのが持ち味だな」
業正「相手にした勢力にとっては、鬱陶しいことこの上ないほどのしぶとさだからな」
秀綱「結局、何回本城を奪われて取り返しているんだか」
氏治「それだけ、小田城が周辺諸侯からは魅力的な土地だったと言うわけだよ」
業正「ああ、霞ヶ浦が豊かな資源を与える魅力的な土地だったそうだな」
秀綱「そのあたりは、こちらをご覧になると良いですね」
氏治「うむっ、海運で様々な品も入ってくるし、塩も取れるし、民はみな気の良い者たちばかりだからな!」
業正「そういえば、小田城は敵が奪っても、領民が信服せず苦労したらしいな」
秀綱「義昭殿も、年貢ボイコットまでされて非常にやりづらかったとおっしゃっていました」
氏治「くくぅ!嬉しい話ではないか!領民は天にニ君を抱かず、我を愛してくれる・・・となれば、我はそれに応えて頑張らねばなるまい」
業正「戦の手腕は壊滅的にダメだが、統治に関しては上手くやっていたというわけか」
秀綱「戦えば負けるといった印象ですが、実際には奪われた城を取り返しているわけで、下手だと言い切ってしまうのも、どうなんでしょう」
氏治「城を取り返すときは、勝手知ったる我が家のこと、造作も無いのだよ、はっはっは」
業正「城から討って出るとからっきしなのだがな、城ごと動けりゃよかっただろうに」
氏治「お、それは良いな、『小田氏治の動く城』とか」
秀綱「どこへ行くんでしょうね・・・それ」
業正「霞ヶ浦に落ちるのが関の山だな」
氏治「我を先頭に、坂東の地を佐竹や結城を蹴散らして進む、痛快だな!」
業正「・・・前向きさだけは買おう」
秀綱「敗北ばっかりなのに、本当にめげないのですね」
氏治「支えてくれる家臣がいる、領民がいる、それらが居る限り、我は負けない!・・・気持ちだけは」
業正「だからこそ、あの驚異的な粘りというわけだな」
秀綱「負け続けてますけど、討ち死にされていませんものね、驚くことに」
氏治「我は何度も蘇る!」
業正「やれやれ、佐竹殿や北条殿には同情するな」
秀綱「潰しても潰しても、復活されたら、落ち着けないでしょうねぇ」
業正「ま、小田殿の家臣も、落ち着けなかったようだが」
秀綱「わざわざ敵を増やすような行動ばかりですからねぇ・・・」
氏治「うまいこと立ち回ったつもりだったのだが、何故か悪い結果を生んでしまってな」
業正「・・・菅谷殿の忠臣ぶりは、表彰ものだぞ」
秀綱「私だったら、さっさと兵法具流の旅に出ていたでしょう」
氏治「菅谷親子には特に世話になっているから、小田が滅んだ後も就職先が見つかってくれて嬉しく思うぞ」
業正「確か、徳川に仕えたんだそうだな」
氏治「そうだ、我も徳川殿の次男・秀康殿に拾っていただいて、余生を過ごしたし」
業正「なんだかんだで、戦国の乱世を生き抜くとは、な」
氏治「ふっ!勝ち組だな!」
業正「・・・・・・・・・・・・」
秀綱「ああっ、業正様が怒りを通り越してヘコんでいる!」
氏治「業正殿、元気を出せ、あきらめたらそこで終わりだぞ!己がダメと思わねば大丈夫だっ!」
業正「お主が言うと、説得力があるのかないのか・・・だが、礼は言っておくとするか」

業正「同じ『おだ』でも尾張の者とは、印象がまるで違う、不思議な男だな」
秀綱「一口に戦国武将と言っても、様々な方がいらっしゃるものですね」
業正「しかし、土地の利・民の心服、これに君主の聡明さが加わっていたら、関東を制覇したのはあ奴だったりしたかもしれぬな」
秀綱「では、尾張の『おだ』殿を小田城に置いたらばっちりですね」
業正「・・・想像がつかんな」

おわり

戦国ちょっといい話・悪い話スレで、脚光を浴びた小田氏治さんでした。
負けっぱなしと言えばわかりやすいですが、その経歴はなかなかに複雑です。負けても、取られたところを取り返しているあたり、すごいんだかすごくないんだかわかりません。
確実に言えるのは、家臣の菅谷政勝さんと息子の政貞さんはすごいということです。よほどに、見限れない魅力の在る人物だったのでしょうね、小田氏治という方は。
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ノブヤボネタin関東武将:エピソード3 

SukeYoshiNobu.jpg

資正「義昭殿、ご苦労でございましたな」
義昭「ああ、資正殿・・・」
資正「大丈夫ですかな?」
義昭「あの爺め、呆けたなど嘘でした。散々リフォーム代と申してふんだくられましたよ、ははっ」
資正「それは、お気の毒に(わざと吐血なんてするから、いかんのだと思うが)」
義昭「それはそうと、このコーナーは黒い魚人が出ると聞いたのですが」
資正「義堯殿なら、前回剣聖殿に仕置きを受けまして、休んでおられます」
義昭「剣聖殿に仕置き・・・自業自得でしょうが、さすがに同情しますね、で、長野殿は?」
資正「はぁ、なんでも業正殿はご自分の姫様たちで、“あいどるぐるぅぷ”なるものをお作りになりたく、『上州十二楽坊』を結成しようと目論んだところ、剣聖殿に『もう古い』と言われて、ふさぎこんでおられる由」
義昭「・・・・・・黄斑、侮り難し、ですね」
資正「(その反応は予想外)・・・それで、それがしに相手役をと頼まれまして、宜しくお願いいたす」
義昭「こちらこそ、資正殿は佐竹にも縁の在るお方、心も楽でございます」
資正「と、言いましても、電子遊戯内での我らの能力値をお見せするだけなのですが」
義昭「どうぞどうぞ」

【武将能力値@革新】
佐竹義昭
統率77 武勇59 知略74 政治87 義理63
足軽B 騎馬C 弓D 鉄砲D 計略C 兵器C 水軍D 築城D 内政B

佐竹義重
統率94 武勇68 知略88 政治89 義理75
足軽B 騎馬S 弓C 鉄砲D 計略A 兵器A 水軍C 築城B 内政A

資正「・・・と、このような具合ですな」
義昭「どうです、我が息子の能力は」
資正「確かに、さすがは鬼義重と異名を取る方ですな」
義昭「そうでしょう、全てにおいて私を上回ってくれました」
資正「義昭殿は、早くからご子息の才を見抜いておられたのですかな?」
義昭「自分も、幼い頃から父の側におり、政に戦に、多くのことを学びましたから、我が子にもそう教育をと、思いましてね」
資正「ですよね、やはり我が子への教育は大切ですな!愛の表れです」
義昭「(そうやって、犬の世話ばっかりしていたせいで、うちに転がり込む羽目になったんでしょうね・・・)とはいえ、義重は幼い頃から超天才児でしたから、私の手を煩わすこともありませんでしたが」
資正「おお、そう言えば、十歳の頃に既に政に関わっていたと、お聞きしたことがありますぞ」
義昭「どうです、この秀才ぶり」
資正「デレデレですな」
義昭「ええ、体も私と違って丈夫ですし、度胸も愛嬌もあり、嬉しくて早めに家督まで譲ってしまいました」
資正「あ、我が子可愛さにホイホイ譲ったのですか、てっきりご自身の寿命を悟ったのかと」
義昭「まさか、私は百歳まで生きる気だったんですよ、気持ちだけは」
資正「そう、だったんですか」
義昭「そりゃ、少し走ると息切れしたり、動悸がおかしかったりしましたが、なんとかなりましたし、いけそうな気がしたのですが・・・まさか四十歳も行かずに死ぬとは」
資正「義昭殿の死は、佐竹の常陸統一を遅らせてしまいましたからなぁ」
義昭「そうなんです、もう少し生きていれば、小田の息の根をこの手で止めてくれたものを・・・」
資正「(ああ、何度も攻めたのに結局攻めきれなかったものなぁ)・・・ま、落ち着きましょう。お体に障りますぞ」
義昭「と、そうですね。わざとではなく、本気で吐血したら危ないですし」
資正「・・・・・・そんな命の綱渡りする特技はご自重されたほうが」
義昭「病弱はステータスだ!」
資正「・・・・・・はぁ」

義堯「ふぃー・・・死ぬかと思った」
資正「お、生きていたのか」
義堯「ふっ、まだ何も成していないのに、死んでたまるか」
資正「ま、頑張ってくれ」
義堯「承知した、我が命に代えても!」
資正「お主、何故そのように全力なのだ」
義堯「自分より十六才も年上の爺さんがあんなに元気なんだ、負けてられんよ」
資正「そりゃ、そうだな、俺も少しは頑張らないとな」
義堯「そんなわけで、俺の代わりご苦労さんでした、可愛い犬が待ってるぞ」
資正「おお、こうしては居れん!散歩の時間だ!!」
義堯「いってらっしゃ~い、それでは皆様、ごきげんよーう」

おわり

パターン入った?へっぽこ劇場でした。
ノブヤボでの佐竹の人材の優秀さはガチ。でもそれに輪をかけた北条がいる、そしてその上を行く武田と上杉という存在。いいから川中島でやり合ってろお前らといつも思います。
でも、歴史と違う勢力の伸びが、歴史シミュレーションの醍醐味なんですがね。
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何事も挑戦? 

笑顔動画の、歴戦コミュに入っているんですが、せっかく入っているんだから見るだけでなく何か作ってみようと、前々から考えていたもので、やってみました。

紙芝居クリエイターという有志が作ってくださった素敵なフリーソフトを使用しました。




・・・使いこなせていませんが。画質とかエフェクトとかもう、いろいろと残念な感じです。
すいません、もっと勉強します。
あわよくば、ブログのネタを紙芝居にしてやろうというしょうもないことも考えていたり、いなかったり。
結局のところ、自己満足の域を出ませんが、それでも見に来てくださる方々が居り、いつも有難く思っています。

あれこれ手を出してどこへ行くんだかわかりませんが、どうぞ宜しくお願いします。
拍手もいつも本当にありがとうございます!

超遅くなりましたが、以前の拍手のお返事です。
本当にすみません・・・

香澄さま
ちび典膳に頭が上がらない殿様の受難その2でした(笑)
どこまで典膳は偉そうなんでしょうか・・・。
他の殿様にも偉そうにしているんでしょう。いずれそんな姿も描いてみたいものです。
・・・お寺で何を学んだのか、僧兵から暴れることだけ覚えたんじゃなかろうかと思ってしまいますね(笑)
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常陸の雄・佐竹義昭 

佐竹義昭(1531~1565)
佐竹十七代当主。常陸の戦国大名。
父・義篤は、弟の反乱に悩まされていた。しかし、天文九年(1540)には弟を討ち乱を収束させ、常陸北部を統一したが、天文十四年(1545)に父は三十八歳で原因不明(恐らくは病死か)の死を遂げる。義昭は十五歳で家督を継ぐこととなる。
分家の佐竹三家(北家・東家・南家)の補佐を受けながら、義昭は常陸の統一に取り掛かる。
かつては盟約を結んでいた江戸氏とも対立し、江戸氏は佐竹氏に圧迫されていく。天文二十年(1551)、順調に勢力を拡大しつつある義昭のもとに、河越夜戦で大敗を喫して以降、北条家に圧されていた上杉憲政から連絡があり、自分を保護して欲しいと申し込んでくる。その暁には、上杉の名跡&関東管領の職と言うおまけつきで。
だが、元々佐竹家は清和源氏の血筋であり、新羅三郎義光の流れを組む名家。名門の誇りを持つ義昭はこれを拒否した。
弘治三年(1577)、宇都宮家の内部で内訌が発生した時は、宇都宮広綱を支援し、広綱を宇都宮城に帰還させている。永禄三年(1560)には結城晴朝を攻めて勝利している。永禄五年(1562)には上杉輝虎(後の謙信)と結んで小山城を攻めた。同年、義昭は嫡男の義重に家督を譲り隠居した。が、実権は握り続けた。
永禄六年(1563)には那須氏を攻めて勝利しており、永禄七年(1564)、北条氏・結城氏と手を結んだ小田氏治が攻撃してくる。義昭はこれに対して上杉氏・宇都宮氏と結んで小田城を奪い、側室の実家の大掾氏も傘下に収める。
永禄八年(1565)、11月3日に急死した。三十五歳没。

※毎回おなじみのどうでもいいおまけコーナーです。飛ばしても問題ありません。

義昭「どうも、よろしくおねg・・・ごほっ」
秀綱「登場開始から血を吐いた!」
業正「というわけで、今日は佐竹義昭殿にお越しいただいたが、具合が悪いのであちらからお帰りを」
義昭「・・・いや、いつものことなので、お気になさらず」
業正「そうか、後で汚れた畳の代金は払っていただくが、よろしいな」
義昭「・・・ええ、それはもう」
業正「それにしても、病いがちの割にはかなり領土の拡大が活発だな」
義昭「病がちゆえ、ですよ、いつ死ぬか判りませんから」
業正「寿命がラスボスというやつだな、よくわからんが」
義昭「シスコンチート爺にはわからんでしょうね」
業正「・・・よく聞こえなかったが今なn」
義昭「げほっごほっ失礼・・・佐竹は洞という独自の、縁組を利用した連合を組んでいたのですが、これが統制力の弱いものでして、どいつもこいつも時勢によってくっついたり離れたりしておりまして」
業正「・・・もはや、血縁では互いの信頼も保てぬのは何処も同じか」
義昭「江戸氏も小田氏も・・・いい加減こっちもブチキレましたね、あいつらの足元を見ない上から目線に」
秀綱「高幹殿に少し聞いていましたが、常陸のごたごたっぷりも相当のものだったようですし、苦労されたでしょう」
義昭「ああ・・・あの剣聖様の本家(大掾家)も内訌を起こして衰退していますからね」
業正「その点、佐竹家は内訌をうまく治めて、その後勢力の拡大を行えたわけだ」
義昭「父上の奮闘の賜物ですよ。それがし側で見ておりましたから、自分の代で佐竹の拡大を頓挫させたくはありませんでしたし」
業正「縁のある者らをよく貪欲に攻めて行ったな」
義昭「結局、縁が邪魔をしていたのですよ。縁にかこつけて、調子のいいときだけ結んで、用がなければそっぽを向くという、悪循環を生んでいたのです、まぁ、佐竹の洞という関係のゆるさが招いたことかもしれませんが」
秀綱「義昭殿も、ご自身の血筋に邪魔されて、せっかくの関東管領の座を逃してしまいましたねぇ」
義昭「ははは、これは手厳しいですな・・・」
業正「仕方が無いだろう、清和源氏は武門の名家、その名跡は捨てられまいよ、わしが在原氏であるように」
義昭「根拠の無い自称を並べられても」
業正「あー、なんか聞こえt」
義昭「申し訳ない、今日は緊張しているせいか、体調がっ、げほげほげほ」
秀綱「困った病気ですね・・・」
業正「親父殿も祖父殿も、50歳に届かず亡くなっているのか、病弱短命だな」
義昭「どういうわけか、そのようですね。息子にこの特徴が遺伝しなくて本当に良かった」
業正「しかし、三代続けて・・・か、呪われてるんじゃないのか」
義昭「まさかそんな」
秀綱「確か、お爺様の義舜殿は、一門である山入家を滅ぼしてらっしゃいますよね」
業正「殺された一門の恨みで」
義昭「いや、いやいや、そんな怖・・・根拠の無いことがあるわけが」

業正「・・・で、お主にシスコンとか吹き込んだのは、どこのどの魚民だ」
義昭「ああ、その安房の義堯殿です。義兄弟の契りを結んだと聞きましたが」
業正「あやつに妹を嫁がせたのも、未だに認めておらんわ!」
義昭「はぁ、そうなのですか(見事にシスコンじゃないか、黄斑もたいしたことないな)」
業正「まぁいい。後であいつは活けジメにしてやる」
義昭「それはそれは、頑張ってください」
業正「ああ、畳の代金だが・・・一枚変えると色合いが変わってしまうのでな、全面取り替えるからそのつもりで、あとで請求が行くからな」
義昭「・・・承知(やられた・・・とんだ喰わせジジイめ)」

おわり

佐竹義昭さんでした。佐竹の独自システム「洞」は義昭のおじいさんのころに成立したものらしいです。
「血縁者でみんななかよく」という寄り合い連合で、実態は領主それぞれが勝手に土地を支配しており、佐竹は盟主だけどそんなに存在感と権力が効くものでもなかったようす。
ざっと調べたただけなので、間違ってたらごめんなさい。
関東戦国伝  /  tb: 0  /  cm: 0  /  △top
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