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行き当たりばったり 道中日記

  // 

信長の野望に登場する戦国武将・剣豪・その他徒然の、ゆるい風味の紹介動画を作成しています。

ノブヤボネタin関東武将:エピソード2 

SatoOtaNobu.jpg

※若さは振り向かないことだと串田先生もシャウトしておられます

義堯「俺の諱の『堯』って、中国神話時代の三皇五帝の一人・ギョウ(堯)にちなんで付けたんですよ、知ってた?」
資正「え・・・誰、この黒いの」
義堯「息子にもギョウと並び称されるシュン(舜)を付けて『義舜』って付けたのに、家督譲ったら義弘に改名しやがるの、何が不満ですか?お父さんは悲しかったですよ、ええもう」
資正「長野殿ー、なんか変な黒い魚民が闖入してきたんですが、とりあえず軍用犬けしかけてよろしいか?」
義堯「ちょ、早まるなって。それと、お義兄様ならしばらく来ませんよと」
資正「むぅ、せっかく対人戦闘犬・秀帝射具星:銀河号の力を試す機会だと思うたのに」
義堯「俺は赤カブトじゃないっての。ともかく、長野業正の義弟・里見義堯が今回のお相手です、よろしく!」
資正「はぁ、よろしく・・・ところで、なぜ長野殿はおいでにならぬのだ?」
義堯「娘御達の名前の設定を愛弗益多亜にちなもうとひらめいて、剣聖殿に馬鹿な真似はやめろって説教されてるよ」
資正「は・・・あいどるますたぁ、と?」
義堯「流行りモノはブームが去ったら、なんか恥ずかしい気分になるんだからやめたほうがいいってのに、あのじいさんも本格的に呆けて来たね」
資正「で、私はあんたの厨ニ病みたいなネーミングセンスを聞いていなければならんわけか?」
義堯「博識と言いたまえよ、ワンワン君、それに、飼ってる犬にらき☆すたのおなごの名を付けるお主に言われたくはないですね」
資正「・・・本格的にうざったいな、やるならやってやってもいいんだぞ?」
義堯「お、いいですねぇ、お主もお義兄様の前で猫かぶってたクチでしょう?自分をさらけだしてもいいのよ?」
資正「・・・いや遠慮しておこう」
義堯「やれやれ、ツレないねぇ、じゃ、今回もステータス晒しと行きますかね」

【武将能力値@革新】
太田資正
統率88 武勇74 知略78 政治50 義理86
足軽A 騎馬B 弓C 鉄砲D 計略B 兵器A 水軍D 築城A 内政D

太田道灌
統率99 武勇88 知略99 政治90 義理68
足軽S 騎馬C 弓S 鉄砲D 計略A 兵器D 水軍D 築城S 内政A

資正「なっ、曾爺さんを並べるな!!」
義堯「資正殿も関東じゃ優秀な能力の持ち主なのに、こりゃ霞むね、さすが大チート様」
資正「ま、当然の能力だろうな、太田道灌と言えば関東無双の武将なのだから」
義堯「おっ、丁度義理の数値が逆転してるな」
資正「だからなんなのだ」
義堯「ん、特に何も。しっかし、資正殿の義理も意外と高いのな」
資正「当たり前だ、誰かさんのように人を見捨てて帰ったりしないからな」
義堯「散々、親兄弟で割れに割れて争ったり、離反したりしても、主家に尽くしたって視点から見たら義理堅いのかねぇ・・・」
資正「ならば問おう、お前は北条氏康に降伏したとして、おとなしくその下に従えるのか?」
義堯「無理だ。アイツとは同じ天は抱けんさ」
資正「それ見ろ。尊敬する法華宗の日我殿に氏康殿と仲良うするよう諭されても応じなかった程のお主だ。そのように、誰にでも曲げられぬものはあるだろう?」
義堯「たとえそれが、血を分けた兄弟子供でも譲れない・・・ね、そりゃまぁ、ごもっともで」
資正「本当は、北条ともうまくやる方法はあったかもしれん。だが、今となってはそれも夢物語」
義堯「アイツとうまくやる、ねぇ・・・ゾッとしねぇなぁ」
資正「とりあえず、だ・・・ゲームプレイ開幕でよく滅亡させられる太田家。難易度はそこそこ高いのでやりがいがあるぞ、『もう時報とは言わせない!!』そんな気概のあるそこの君、太田資正で天下を取って見ないか?」
義堯「※ゲームに三楽犬は含まれません」
資正「くっ、なぜだ・・・!固有戦法にあっていいはずだ、軍用犬がっ!!」
義堯「太田さん、ファイトですよ、軍用犬が登場するその日まで」

秀綱「やぁ、義堯殿ご苦労様です」
義堯「げぇ、剣聖!」
秀綱「どうかなさいましたか?」
義堯「メガワラッテナイ」
秀綱「業正様から、さっき義堯がわしを呆けたとぬかした電波を受信したから〆て来いと言われましてね・・・どうやらそのご様子ですと、事実のようですねぇ、覚悟はよろしいですか?」
義堯「くっ・・・じじいめ確実に人外に進化してやがる、油断した・・・それではみなさんごきげんよーう」

おわり

このネタ考える時が一番気楽です。
義堯は、入道して「正五」と名乗ったり、自分の黒印(花押の代わりに使った判子)は「五公」という文字を使ってます。書経(中国の政治史を記録した最古の歴史書)、史記(司馬遷が編纂した中国の歴史書)に出てくる言葉で、義堯の諱といい、この人徹底しています。こういう専門用語を引用するあたり、教養の高さをうかがわせます。
ついつい「うわー、厨ニっぽーい」と思ったのは秘密です。

太田資正さんも、号を「三楽斎」としています。三楽をググってみると『孟子(中国の儒学者、孟子の言葉を集めた書)』または『列子(中国の学者、列御寇による道家の書)』に「三楽」という言葉があります。
前者は「君子三楽」で、後者は「人として生まれた楽しみ」であるとしています。「人として生まれて幸せ!」「男に生まれて幸せ!」「長生きでヒャッホウ」・・・といった意味です。
ちなみに、君子は単なる偉い人ではなく、「人としての理想像」のことだそうです。

戦国武将は儒学や道家といった中国の思想にも触れており、その影響も様々見られるので、このへんもチェックしていくとなお楽しいことになりそうな予感。でも、さらに深みにハマることも請け合いですね。

さてさて、次回も息抜きです。
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わんわんお!三楽さん 


資正「まるで私が犬にしか興味が無いように・・・」
業正「だって、あてはまったんだから仕方が無かろう」
秀綱「天にも人にも“犬が好きなことを”恥じる所がないこと・・・ではないのですか?」
資正「そこ!勝手に犬好き関連の言葉をねじ込まない!!」
業正「違和感が仕事をしないのがいかんのだろう」
資正「言っておきますが、犬を飼い始めたのは元は軍事用なんですからね、軍事用!」
秀綱「そうなんですか?」
資正「そうですとも!ですから今回は軍事用に犬を使用するまでの方法をお教えしましょう。自宅が北条家に包囲された時などに使用されるとよろしかろうと」
業正「ほう、それは興味深い」
秀綱「私も囲まれて降伏したことありますから、それはいいですね」
資正「では、まずは子犬を100匹用意していただきたく」
業正「突然難易度が上がったな」
資正「城一つにつき、50匹ほどいると安心ですぞ。連絡を取り合いたい城の数で飼う頭数は考えてください」
秀綱「通信途中で討ち取られたり、野生に帰ってしまうこともあるんでしょうしね」
資正「ですね。さて、100匹わんちゃんを二つの城で50匹づつ育てましょう。ある程度育ったら、2つの城の犬を入れ替えます。この犬の住み替えは、2.3ヶ月に一回は行うと良いかと」
業正「ああ、なるほど、犬が逃げても帰ってくる習性を利用すると言うことか?」
資正「さすがは黄斑殿、飲み込みが早いですぞ!犬たちに帰るべき場所を認識させておくこと・・・これが出来ていれば、あとは有事にその犬たちに付文させて外へ解き放てば、外部と連絡を取ることが出来ます」
秀綱「包囲されていても外と連絡が取れれば、城の軍勢と援軍で、攻めて来ている側を挟み撃ちできますからね」
資正「たとえ警戒されていても野良犬と区別は付きませぬし、犬の足は人よりもずっと早いゆえ、人の伝令よりも捕らえられにくいという利点があります」
業正「成る程な、しかし実際に運用してみなければ、良さがわからんだろうな」
秀綱「犬を100匹ですからねぇ、えさ代とか糞尿の始末とか、現実的なことも考えるとなかなか・・・」
資正「大変でしたな、本当に、最初は領民も家臣も冷ややかな目で私を見ていたものです」
業正「よくぞ途中で投げ出さなかったものだ」
資正「家臣たちも、犬の世話をするうちに、情が移ってきた者もおりましたし、戦で役に立ってからはもう、皆でちやほやと」
秀綱「その輪の中に、入ってこなかった方もいらっしゃったとか」
資正「ああ、資房・・・氏資の奴ですか」
業正「初名は資房殿か、改名したのは・・・もしかしなくとも」
資正「ええ、北条家に降伏して、あれが私を岩付から追い出したときに、頂いたそうです、『氏康』の『氏』をね」
秀綱「そんなことになっていたとは・・・」
資正「残念ながら・・・あれが氏康殿の娘を嫁にしてから、だんだんと北条に親しんで行き、私は北条に馴染めなかった、そこで親子の間に決定的な亀裂が出来たと感じますな」
業正「それで、次男に家督を譲ろうともしたということか」
資正「家中が割れるのはまずいですし、踏み切る前に資房は出家して逃げまして、そうしているうちに国府台の合戦で敗北した隙を突かれて次男もろとも追放、というわけで」
秀綱「資正殿は、兄上とも北条のことで袂を分かって、その上実の息子とまで」
資正「これも全て北条のせい!・・・なんてね。結局のところ、一族揃って頑固なんですよ。自分でこうと決めたらお互いに引けぬのです」
業正「そういうものだよ、状況次第で簡単に己を曲げるようでは、坂東武者ではないわ」
資正「まったくですなぁ、ははは」
秀綱「そう言えば・・・岩付追い出されて、わんちゃんたちはどうなったんでしょう?」
資正「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
業正「秀綱殿、なんか地雷だったようだぞ」
秀綱「例えようも無く落ち込まれてしまいましたね・・・私としたことが、申し訳ないことを」
業正「あの様子では、犬たちはきっところ」
資正「可愛い我が子達は・・・全部、氏資めに取られてっ・・・!!あいつめッ!!」
業正「・・・」
秀綱「結局、太田家総犬好きでしたか・・・」

おわり

城を攻めるのは結構リスキー。防衛されて城の前にいるうちに、他から攻められたらアウト。いかにして城側を孤立させるかがキモでしょう。
河越夜戦で、氏康は河越城の綱成と連絡をつけて、同時に連合軍に奇襲を仕掛けています。連携は大切ですね。
長野家も太田家も、結果だけ見れば「負け組み」に見えますが、負けていてもその内情には色々なドラマがあり、何もしていないから負けたわけではなく、それぞれの多くの苦闘が見られるので、細かく調べていくと誰も嫌いになれません。イモヅルです(笑)

次回はまたしてもノブヤボネタと、あと小野さんの予定です。
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太田資正・英傑の子孫 

太田資正(1522~1591)
名将と呼ばれた太田道灌のひ孫にあたる、武蔵国の武将。
扇谷上杉氏に仕えていたが、資正の父・資頼の嫡男である兄・資顕は、衰退する主家を目の当たりにし北条家とのつながりを強めていた。
大永四年(1524)、資正が3歳のころ、父は主家を裏切って北条氏綱と結び、かつて岩付太田氏の居城であった岩付城(二年前に資頼が奪取した)を渋江右衛門大夫の手から奪還する。しかし、扇谷上杉家に攻められるとあっさり降伏し、帰順する。
翌年、扇谷上杉氏の居城であり、資正の曽祖父である道灌が縄張りを行った江戸城が北条氏綱によって奪われると、資正親子の居城である岩付城も家臣の反乱によって北条家の手に渡ってしまう。
父が亡くなるとまもなく、北条家寄りの兄・資顕との間に亀裂が生じ、資正は岩付城を出奔、扇谷上杉氏の重臣で舅である難波田憲重の元に身を寄せる。
天文十五年(1546)の河越夜戦では兄弟が北条と上杉連合軍に分かれて戦うことになり、これが北条家の勝利に終わり、扇谷上杉氏が滅びると資正は上野国新田に移った。
翌年、松山城を急襲して奪還、10月に兄が死去すると、当主が不在の岩付城を攻め、城と太田家の家督の両方を奪取する。しかし、松山城を任せていた上田朝直が北条に寝返り、岩付城も北条軍に囲まれ、天文十七年に降伏する。
それからは、おとなしく北条家の臣として働くが、永禄三年(1560)に上杉謙信が北条討伐に関東へやってくると、反北条をかかげてこれに参加。再び北条家との戦いの日々が訪れる。
北条家は離反した太田家の城(松山・岩付)を攻めるが、軍用犬を用いた連絡網によって援軍を素早く動かす資正によって侵攻を阻まれ続けた。
だが、資正の長男・氏資の裏切りによって岩付城を追放されてしまう。
その後、宇都宮氏を頼って岩付奪還を目論むもうまく行かず、常陸の佐竹義重に身を寄せ、以降は佐竹家臣として小田氏治から奪った片野城をまかされ、北条家と戦った。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐に参加し、北条家の最後を見届け、翌年、病没。最後は岩付城に戻ることは出来なかった。

※本編終わりです。あとは余計な何か。

業正「とりあえず、わんこ同伴はやめてくれ」
資正「ええっ、そんな、犬と言えば私。私と犬は人犬一体と言っても過言では」
業正「犬との絆は、少し離れた程度で無くなるほどもろいのかな?」
資正「そんなわけがありません!わかりました、外に待たせてきます・・・さ、外で待つのだ。こなた・かがみ・つかさ・・・寒いだろうが外で!」
業正「(ダメだこの武将、最早なんともならんな)・・・・・・秀綱殿」
秀綱「はいはい、わんこちゃんたちは別室でおもてなしさせておきますよ」
資正「おお・・・剣聖殿、かたじけない!我が子たちを頼みます!」
業正「犬に名前までつけているのか」
資正「何かおかしいですか?」
業正「色々と聞きたいこともあるが、そこを突くと内容があらぬ方向へ逸れそうなのでやめておく」
資正「えっ、犬の名前の由来とか、他の子も色々紹介だけ」
業正「それは別の機会にな」
資正「ちぇー」
秀綱「やめてください、対抗して業正様が12人の姫様たちの、お一人づつの可愛さ語りを始めかねません」
業正「・・・・・・・・・いやいや、秀綱殿、わしはそんなことはせんぞ?」
秀綱「私の目を直視しておっしゃってください」
業正「・・・ともかくだ。そんなに犬ばかり愛しているから、息子に城を追い出されるのではないのか」
資正「氏資なんて、あんな犬の良さもわからぬ息子なんて、飾りですっ、あいつに犬の素晴らしさはわからんのですよ!」
秀綱「言い切りましたね」
業正「一応、一般的には吃音が悪い長男が嫌で、次男を依怙贔屓したゆえ、親子関係が上手く行かなかったのが原因とされているのだが・・・」
資正「滑舌が悪いくらいで嫌うほど、私も心の狭い奴ではありません」
秀綱「趣味に理解が無いのが許せないのは、どうなんでしょうねぇ」
資正「いや、実の息子に理解されない辛さをですね」
業正「犬をあまりにも溺愛しすぎて、家臣たちまでヒキ気味だったと言うではないか」
資正「うっ・・・で、でも、軍用犬としての有用性が理解されてからは、家臣たちも受け入れてくれました・・・よ」
業正「さすがの風魔の忍びも、犬による情報網は捉えきれなかったようだな」
資正「ええ・・・それでも、多くの犬たちの犠牲を払いましたし、犬の訓練も時間がかかりますから、犬を伝令に使うというやり方は、あまり他の方はやらなかったようです」
秀綱「資正殿のご活躍は、道灌殿の再来と讃えられておりましたね」
資正「・・・大きすぎる曽祖父を持つと、その重圧も相当なもので。どうにか、名家の面目はほどこせたかとは思いますが、その賞賛には恐縮するばかりです」
業正「道灌殿と言うと、あの方は猫がたいそうお好きだったようだが、資正殿はどうなのだ?」
資正「猫ですか?そりゃ、好きですよ。猫は可愛いですし、鼠害も防いでくれますし・・・でもどちらと問われれば犬ですね!」
業正「曽祖父と嗜好がかぶると目立てないしな」
資正「ちょ、そんなつもりじゃありませんからね!?」

つづく

今回も色々とひどくてごめんなさい。
戦国のトップブリーダーこと太田資正さんでした。次回も引き続き、犬好きの太田さんのネタをお送りいたします。
資正の飼ってる犬の名前は、某歴戦ゲー動画のとあるシリーズさまへのリスペクトです。

いつも拍手をありがとうございます。今後もすっ飛ばし馬鹿日記ですが、よろしくお引き回しの程よろしくお願いいたします。
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ノブヤボネタin関東武将:エピソード1 

NagaSatoNobu.jpg

※まぁ・・・いつにも増してどこへ行きたいのか、誰得なのか、と言ったところです・・・

どうとでもなる用語解説
【信長の野望】光栄(現:KOEI)が出している戦国時代を中心とした歴史シミュレーションゲーム。13のシリーズが出ている。作品ごとに特色と欠点がさまざまあるので、興味のある方はwiki先生に教えてもらうといいだろう。
【革新】信長の野望シリーズ12作目。シームレスな画面で天下取り。特色は「技術開発」で、他国よりも早く有益な技術を開発して行くと最後には消化試合です。OMIKATAなどのオーバーテクノロジー満載です。
【天下創生】シリーズ11作目。箱庭的画面で天下取り。自国の城下町を発展させて、富国強兵ですよ。発売当初はコンパチ顔武将がいっぱいいたのはナイショだ。

義堯「いったいなんです?お義兄様、この状況」
業正「お義兄様やめろ魚民」
義堯「ギョタミはやめてお義兄様」
業正「・・・それにしても、なんなんだその顔、なんでそんなに黒いんだ?天下創生のお前が色白に見えるぞ」
義堯「革新から、海の漢設定追加じゃないっすかね?だから海で日焼けしてると」
業正「それならお前よりも、九鬼殿とか村上殿とか、有名どころが居るだろうに」
義堯「あ、ひどい、北条軍相手に大活躍したのに、俺の水軍」
業正「やはりアレだな、内面の腹黒さが画面までにじみ出ているのだろうよ」
義堯「そういうお義兄様も、月代の剃り跡が青々しすぎてイヤですよね。白髪なのに」
業正「内なる若々しさが、老いてなお出てきてしまってな」
義堯「はぁ、さいで・・・で、そろそろお互いむなしいので、何をするんだか教えてくださいよ」
業正「む、このままだべるだけだが・・・」
義堯「帰っていいですかー?」
業正「冗談だ」
義堯「本当か・・・?ボケたんじゃ」

【武将能力値@革新】
長野業正
統率 97 武勇 80 知略 91 政治 40 義理 96
足軽S 騎馬B 弓A 鉄砲D 計略A 兵器D 水軍D 築城A 内政D

里見義堯
統率 82 武勇 71 知略 80 政治 57 義理 57
足軽B 騎馬B 弓D 鉄砲D 計略B 兵器C 水軍A 築城B 内政D

業正「能力値を肴に話でもするか」
義堯「うわー、並べられたくなーい」
業正「ぬ、お前思ったよりも義理が高いな」
(※義理が低いほど引き抜きや離反をしやすい:久秀さんは貫禄の義理1)
義堯「俺、史実でそこまで悪いことしてないもん」
業正「それに対して、わしの義理の高さはガチだな」
義堯「ええ~おかしくない?しれっとやり手ジジイなのに・・・」
業正「100が絶対裏切らないとして・・・4パーセントは裏切る計算だぞ」
義堯「・・・正直、並べられても俺が劣化ナントカに見えて困るんですが」
業正「まぁ、我ながら評価されすぎな数値だとは思うが・・・寿命が最大の敵だな」
義堯「立地もなかなか死ねる位置ですしねぇ・・・武田と長尾に囲まれて」
業正「その点、お前のとこはいい。湊もあるしな」
義堯「まーねー、うかうかしてると北条が攻めてくるんでおちおち釣りもできませんけど」
業正「うむ・・・お互い楽ではないな」
義堯「ですねぇ・・・」
業正&義堯『太田さんがもっと頑張って壁になってくれればなー』
資正「犬さえ・・・犬さえ居れば!」

業正「ところで、さっき人をぼけたとかぬかしたな、上泉秀綱殿を呼んでやろう」
義堯「ワー、オキヅカイナクー」
業正「革新の秀綱殿と、立志伝Vの秀綱殿、どちらがよいか?」
義堯「どちらも結構です」
業正「ふむ、両方だな」
義堯「しまった…凡ミスだ…それではみなさん、ごきげんよーう」

おわり

なんかもういろいろとすいません。次回はちび典膳登場。
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里見一族の陰謀 

上泉先生による解説
大永四年(524)、北条氏綱が江戸城を奪ってしまいました。これにより、扇谷上杉家・真里谷武田家などの領主たちは北条家と敵対します。大永六年(1526)、義堯の父・実堯は鎌倉に攻め込み、ゲリラ戦をしかけます。そのときに、鶴岡八幡宮へ行って、宝物を奪った上に社殿を焼いてしまいました。鶴岡八幡宮と言えば、頼朝公が建立した関東武士の精神的象徴でもあったわけで・・・

秀綱「よろしくないですねぇ」
氏康「まったく、悪の里見一族がとんでもないことを」
業正「お主が言えたもんじゃないかと思うがな」
義堯「そうだぞ、似非北条は帰れ!」
氏康「里見が八幡宮を焼いてくれたおかげで、父上が再建するのにどれだけの苦心をなさったか」
義堯「やかましい!というか、その件に関しては色々とウチにも言いたいことがあるぞ!」
氏康「ふむ、ではお聞きしようではないか」
義堯「おう!聞けこの野郎!!」
秀綱@小声「なんだか・・・あのお二人って、険悪な振りして仲がよさそうな気が」
業正@小声「北条家の書物でも、義堯のことを褒めているしな・・・ケンカする程度の仲良しなんだろうさ」
義堯「ちょっとそこの上州の物騒なお二人さん、ちゃんと俺の話を聞いてくださいよ」
業正「あー、聞いとる聞いとる」
秀綱「聞こえてますよ~」
氏康「せいぜい、苦しい言い訳にならぬよう気をつけられよ」
義堯「ったく・・・いいですか、あれは里見が放火したんではありませんからね?まずはここから指摘しとくぞ」
秀綱「すると、鎌倉に入って八幡宮を破壊したうえ宝物を奪ったのは間違いですか」
義堯「だいたいですねぇ、その記述どこの資料に書いてあるんです」
業正「・・・北条記、か、なるほどな」
義堯「あの時、うちの軍は北条に押され気味で、鎌倉に戦場が移ったときに引火したんです。不可抗力なんですよ?北条がウチを悪し様に言う為に話をでっち上げてるんですよ」
氏康「なんのことやら・・・私はそんな書物の話は聞いていない」
義堯「・・・まぁ、いい。とにかく、まさか鶴岡八幡宮に火が付くなんて思わなかったので、父も驚き、軍全体の士気も落ちてしまいましてね」
秀綱「確かに、鎌倉に入ってからやけにあっさりと鎌倉を退却していますね」
義堯「で、次だが、鎌倉の北条攻めろって言ったのは小弓公方様(足利義明)ですよ」
業正「北条家が江戸城と、江戸湾海域に関東の主要河川の河口付近を掌握したので、焦ったか」
氏康「江戸城の太田道灌殿のご子孫・太田資高殿にもご協力いただいて、我が北条家がおいしく頂きました」
秀綱「仕方がありませんね、扇谷上杉家は道灌殿を謀殺していますし、資高殿も上杉家にはあまり良い感情をお持ちで無かったとか」
義堯「コトがコトだけに、仕方が無いでしょうねー・・・さて、最後にいま一つ」
氏康「まだあるのか」
義堯「ある。里見軍を率いていたのは、父ではなく義豊殿(実堯の兄の嫡男・つまり里見の当主)。父は補佐だけ!」
業正「・・・間違いではないのだろうな」
義堯「なんでここを一番疑うんですか?証拠なら、義豊殿が父を謀殺したあと俺が仕返して義豊殿の首を取り、協力してくれた氏綱殿に送った時、八幡宮の供僧でいらっしゃった快元殿がこの事を聞き『神罰である』という言葉を残しているのでお察しできるでしょう」
秀綱「つまり、矢面に立っていたのが義豊殿だった・・・と」
業正「宗家に悪名をなすりつけたわけだな」
氏康「周到に仕組まれた下克上・・・さすが義堯殿のお父上、やることが黒い」
義堯「・・・だからなんで陰謀めいた解釈になるんでしょうね?」
業正「自分の宗家乗っ取りを正当化する為に、色々と書を捏造しているからだろうな」
義堯「ははははー、ごもっとも」
氏康「鶴岡八幡宮の再建だって、手伝うと言っておきながらドタキャンしたからな」
義堯「記憶にございません」
氏康「ふ、ふふふ」
義堯「わははははー」
秀綱@小声「・・・仲が、いいんですかね、悪いんですかね」
業正@小声「放っとけ、ああやってるのが楽しいんだろう」

おわり

里見義堯のお父さんに残る、悪い話でした。実際は、責任が義豊にあるようですが、どうにも里見の記録も北条の記録も都合のいい自分視点なので怪しげ・・・。

久秀「わしのほうが、堂々とやっていて立派なもんだろう?むしろ白いと言える」
義輝「どこがだ!!」

拍手ありがとうございます。毎度、マイナーなネタながら頂きまして恐縮しきりです。
コメントもありがとうございます。改めてまたお返事いたします。

次回はまたインターバルです。
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業正の妹と義堯 

長野業正には養子がいたと言います。
それは、里見義堯に嫁いだ業正の妹が産んだ男子で、石井義樹(1533~1563)と言うそうです。
永禄六年に討ち死にしたとされますが、僧籍に入ったとも言われます。
死んだことにして、実はひっそりと僧になって、死んでいった長野家の人々の菩提を弔っていたりしたらいいなぁと夢想してみた。


秀綱「・・・普通のおなごには普通の紳士なのに」
義堯「実の妹に結婚願望とか・・・恋じゃなくて変だな」
業正「それほどに大切に思っておっただけだ」
秀綱「まさか、義樹殿が養子に来たのは・・・」
義堯「最初の子供はわしに寄越せと、そこの爺さんが俺を脅すから」
業正「・・・」
秀綱「まったくもう、子供ですね」
義堯「まぁ、爺さんも北条には従ってなかったし、関東の諸将とよしみを通じるのは必要だしな」
業正「わしだとて、そう思うからこそ妹が里見家に嫁ぐのを涙を呑んで見送ったんだ。だいたい、娘十二人も全て周辺の国人や豪族とのつながりを強める為に嫁に出しているわしが、妹一人のことをいつまでも引きずったりせんわ」
秀綱「でも、姫様たちを嫁がせるたびに、落ち込んで利根川に身を投げようとして重臣たちを慌てさせていたと、父上がよく・・・」
義堯「素晴らしい紳士ですね」
業正「やかましい!勢力を強める為だけの婚姻に、わしとしても申し訳ない気持ちがあったのだ!」
秀綱「なにしろ、十二人も・・・ですからね」
義堯「悪く言えば、娘を全員、政の具にしたってことか・・・だが、それだって家を守るためだろう?爺さんの娘達なら、自分たちの役割だって理解していただろうよ」
業正「そう見てもらえれば助かるな・・・」
秀綱「姫様たちは、上州のむすめですから、きっと嫁いだ先で立派にやっていらっしゃったはずです」
業正「ああ、於富のようにな」
秀綱「・・・ええ」
義堯「その、おとみさんというのは・・・あ、聞いても差し支えないなら、だが」
秀綱「業正様の姫様の一人で、小幡図書助殿の妻で・・・私の弟子です」
義堯「ほぉ、おなごで剣聖の弟子とは、それはお強かったんでしょうなぁ!」
業正「ふふ、上州のおなごはかかあ天下と言ってな」
義堯「え・・・男はみんな尻に敷かれるの?上州のおなごって怖いな」
業正「違うわ!男がおらぬ間もしっかりと家を守る良妻賢母ということよ!!」
義堯「ああ・・・妹さんも、芯の強い綺麗な人だったな」
業正「・・・そうか、それならよかった」
義堯「その、すまないな、兄より先に逝かせてしまって」
秀綱(ああ、妹君は義樹殿を生んだ後、子供も無く病で・・・)
業正「なに、病はどうにもならんことが多い。それに、あれは海に憧れ、里見に行ける事を心から喜んでいたからな・・・礼こそあれ、責めることなど無い」
義堯「そう言ってもらえれば、こちらも気持ちが軽くなるってもんだよ。これからもよろしくな!お兄様」
業正「ああ?誰がお兄様だ!!」
義堯「え~、いいだろ?ちょっと年が離れすぎた異様な義兄弟だけどさ」
業正「気色悪いわっ!兄と呼びたいなら魚でも持って来い!」
義堯「上州は海から遠いんだから、持って来るまでに腐っちまうだろ。お兄様は無茶言うな」
業正「だからお兄様とry」

秀綱「ふふっ、仲良しで何よりです。妹君はちゃんとつないでおられますね・・・家の和を」

おわり

義堯に業正を「お兄様」と呼ばせたい。そんなアホな気持ちからスタートしました。
おかげさまで、ネタが出来上がるまで何も出てこなくて苦労しました・・・しょうもない思いつきで作り始めるもんじゃないですね。出来上がっても相変わらずですが。

業正の娘、於富は、池波正太郎の上泉信綱が主人公の小説『剣の天地』で、信綱の弟子として登場します。ぶっちゃけ池波先生の創作上の名前です。一番身近だったので、これを使用しました。実際にどんな名前だったかはわかりません。信綱の弟子かも同様です。

かかあ天下について。
雷とからっ風、そしてかかあ天下。この3つが上州名物とかそんなことを地元民は習うんですよ。
あと群馬は未開の地じゃありませんよ?埼玉から22時間もかかりませんよ?木の上に住んでませんry
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里見義堯・安房の強豪 

※略歴の書き方が偏ってますが、ご容赦ください。

里見義堯(1507~1574)
安房の里見氏、里見実堯の子。(生年には1512年という説もある)
天文二年(1533)、父の実堯が甥であり、里美家当主の義豊に殺害されると言う事件が起こる。(天文の内訌)
義堯は父の仇を討つ為、敵対していた北条氏綱と手を結び、重臣の正木時茂らと共に挙兵し、義豊を討ち果たした。(犬懸の戦い)そして、里見家の家督は義堯の物となる。
一般的に、この一連の内部騒動は、義豊が無実の罪を実堯に着せて討ち、義堯がその仇を討ったと言われている、が・・・。
北条氏と手を組む形となった義堯だが、小弓公方・足利義明の後楯である真里谷武田家当主・信清が亡くなり、家督争いが始まると氏綱と義堯の関係にも亀裂が生じ始める。
義堯は真里谷信応(のぶまさ)を支持、氏綱は信隆を支持し対立。義堯は小弓公方を味方につけて信隆を攻めてこれを下した。
しかし、天文七年(1538)に小弓公方は打倒古河公方を目指して国府台へ軍を進発する(第一次国府台合戦)。義堯もそこに参加していたが、小弓公方は戦死し、やむなく義堯は戦線を離脱した。ここに、小弓公方は滅亡した。
小弓公方亡き後、義堯は下総・上総をまとめるために奔走し、久留里城を本拠に定めて里見家の全盛期を築いた。
北条家は氏綱から氏康の代になり、天文二十一年(1552)、氏康の策動によって里美傘下の国人の大量離反が起こる。さらに天文二十四年(1554)には、今川義元・北条氏康・武田信玄の三国同盟が締結され、西に脅威が無くなった北条は里見の領土を徐々に奪って行き翌年の弘治元年には上総西部の大部分を北条の領土にされていた。
義堯は離反した国人を鎮圧しながら領土の奪還を計り、越後の上杉謙信、太田・佐竹・宇都宮とも連絡を取って北条家に対抗する姿勢を崩さなかった。
その後の戦いでは、里見水軍を使い北条に大勝したり(三崎三浦の戦い)、上杉謙信と連携して大勝したりしている。
永禄五年(1562)に剃髪して入道となり、家督を息子・義弘に譲るも実権は握ったままだった。
永禄七年(1564)、北条家に仕える太田康資の内応を受けて、義堯親子は北条方の千葉氏が治める国府台に侵攻。一時は勝利するも、その余韻に浸って油断していたところを氏康に奇襲されて大敗を喫する(第二次国府台合戦)。
だが、徐々に力を盛り返し、永禄九年(1566)にはほぼ失地を回復している。
永禄十年(1567)の三船山合戦では、太田氏資を戦死させるも北条軍に勝利している。
その後も義堯はあくまでも北条に徹底抗戦し、天正二年(1574)に68歳で生涯を閉じた。

※gdgd会話パートです。

秀綱「これは、遠方よりよくぞお越しくださいました」
義堯「やや、剣聖殿直々のお出迎えとは・・・恐縮です」
秀綱「いえいえ、さ、どうぞこちらへ」
義堯「ああ、すみません・・・で、ご当主殿はどちらへ?」
秀綱「ちょっと席を外していますが、そのうちいらっしゃいますから、先に話を始めていましょう」
義堯「いいんですかね、それで」
秀綱「義堯殿が参られるのに、色々と心の準備があるそうでして」
義堯「はぁ・・・そうですか、それでは(うへぇ、心の準備は美人のおねえさんだけにして欲しいもんだ)」
秀綱「で、経歴を拝見しましたけど、色々といじくってありますよね?」
義堯「おっ、さすがは剣聖殿、お目が高い!気付かれましたか!」
秀綱「(やはり、このくらいの打ち込みでは動じませんか・・・)お父上は、理由も無く義豊殿に討たれたわけではなかったはずでは?」
義堯「ですねぇ、我々親子は元々、真里谷恕鑑(信清)殿や北条氏綱殿に密かに協力していまして、それが義豊殿には面白くなかったようで」
秀綱「敵対していますから、それはそうでしょうね」
義堯「で、敵対勢力と結んでいたことが露見して父上は殺された・・・うかうかしていては息子であるこっちの首も危ないのでね。氏綱殿のご助力を得て、ご当主殿には早めの退場を願いました、というわけです」
秀綱「しかし、よく氏綱殿も協力してくださいましたねぇ」
義堯「ま、向こうさんもこれを取っ掛かりに安房への影響力を強めたかったんでしょうね、我らも恕鑑殿を支持したのは、その後ろの小弓公方の威を借りて上総・下総へ版図を広げたい思惑でしたし」
秀綱「一時的な利害の一致ですか・・・長持ちしないはずですね」
義堯「そりゃそうです。笑顔であいさつする裏で寝首掻こうとしてるのお互いに見え見えでしたから」
秀綱「そこへ、恕鑑殿の死ですか、調度良く」
義堯「ええ。小弓公方の力を削ぎたい北条と、借りたいこちら。対立必至でしょう?おかげさまで、うまいこと手が切れましたよ」
秀綱「あっさりとおっしゃいますね・・・その調子で、国府台合戦にて小弓公方様をお見捨てになられたと」
義堯「あれは・・・義明殿が脳筋すぎってか、息子が討ち死にして戦況が劣勢になっているのもわからずに、怒りに任せて北条に突撃して勝手に息子の後を追われてしまったから、俺のせいじゃないですよ?」
秀綱「なるほど、外聞よりも里見の兵士の損耗を惜しんだのですね」
義堯「そういうことです。馬鹿に付き合ってうちの大切な兵たちを死なせては、一時の名声は稼げても勝って勢いのついた北条を止めることが出来ない恐れがある、それでは困るんでね」
秀綱「ふふ、お優しい安房の梟雄殿ですね」
義堯「・・・褒められてます?それ」
秀綱「褒めておりますよ・・・ところで、結局北条と対立するおつもりなのに、義豊殿を討ったのは・・・?」
義堯「あのお人では、里見家を大きくできない、と踏んだからですよ。ぶっちゃけ俺が宗家に成り代わりたかっただけなんですがね。俺のほうが里見家をうまく使えるんだ!と」
秀綱「その言葉にたがわず、全盛期の里見家を作り上げたわけですから、たいしたものですね」
義堯「まー、そうなんですけどねぇ、その呼ばれ方だと、俺の死をきっかけに明らかに里見家弱体化してるのが丸分かりで嫌だなー」
秀綱「どこも、勢力を持続させるのは難しいってことですね」
義堯「悲しいけど、これって戦国なんですよねー」
秀綱「そうですね・・・里見家は特に、後世では『里見』と聞いたら八つの珠を持った武士の伝奇小説と、ゲーム史上例の無い自称おすすめRPGとか、そっちが先に思い起こされる名前ですしねぇ」
義堯「ちょ、そこでそんなひどいメタネタっすか」
秀綱「とっておきのネタは最後に出そうと思いまして」
義堯「むむむ・・・きたない、さすが剣聖きたない」
秀綱「ま、関東管領の地位狙い宣言されている義堯殿は、最後まで関東管領に忠義を尽くした我が長野家にとって不届きな敵ですし」
義堯「副将軍は、そういう意味で言ったんじゃないデスヨ?それに、今更長野家が忠臣とか」
秀綱「何か問題でも?」
義堯「(笑顔の脅迫、この人のはマジで怖い)・・・・・・ありません、すいません」
秀綱「そろそろ、業正様もいらっしゃいますから、もう少しお待ちくださいね」
義堯「はい、おとなしくお待ちします(早く来いじじい!間が持たねぇ!)」

つづく

超有名な滝沢馬琴の伝奇小説「南総里見八犬伝」に「里見家」が出てくるわけですが、創作の方が有名になってしまって、「あの八犬伝の里見のモデル」の里見という呼ばれ方もしてしまう、安房の戦国武将・里見義堯さんです。なかなかに、喰えない人です。色々としたたかなんですが、地元の人々からは善政をしいた名君として慕われていたんだそうです。
水軍が強い・事前に見てた歴史創作動画の影響・などから、上記の絵のような格好になってます。もはや衣装が無茶苦茶ですが、今に始まったことでは・・・

ちなみに、ゲーム史上まれに見る自称おすすめRPG・・・里見の謎なんてクソゲーがありました。でも里見は全く関係ありません。タイトルなのに。興味のある方はソフト名で検索すればすぐ出てきます。

さて、次回は全く持ってどうしようもない馬鹿話の予定です。また長野爺さんが壊れます。
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長野業正と上杉憲政・2 

上杉憲政(1523~1579)
関東管領を務める山内上杉家の当主。
3歳の時に、父・憲房が病死。幼すぎる為に、養子の憲寛(古河公方・足利高基の息子)が家督を継いだ。
だが、憲寛は扇谷上杉と手を結んだことで、小弓公方や自分の父である古河公方と対立することとなり、憲政9歳の時に、憲政を支持する家臣たちに居城・寺尾城を攻められ、管領の座を奪われ追放された。そして、憲政が関東管領となる。
天文十年(1541)、長年管領を巡って争っていた扇谷上杉氏の上杉朝定と和睦し、徐々に関東に侵攻しつつあった北条氏康に対抗しようとする。天文十四年(1545)には、朝定が今川義元と和睦、憲政も古河公方・足利晴氏と結び、翌年、関東管領と古河公方の威光を持って北条と雌雄を決せんと周辺勢力に働きかけ、八万の軍勢(この半分と言う説もある)で、北条綱成が守る河越城を包囲。しかし、救援に駆けつけた北条氏康の策によって、わずか八千余の氏康軍に、憲政らの大軍は大敗を喫し、扇谷の当主・朝定は戦死、晴氏は逃げ、憲政も多くの兵を失って逃走した。
その後、体勢の建て直しを計るも、天文十六年(1547)、信濃の国人・笠原清繁に救援を求められ小田井原で武田軍と戦うが、大敗。この頃から、忍城の成田氏、自身の家臣団からも離反者が出てくる。
そして天文二十一年(1552)には居城・平井城に北条軍が攻め寄せる頃には、長野業正をはじめとする河西衆が離脱。憲政の馬廻も離反し、寄る辺を失った憲政は弘治三年(1557)(※永禄元年説もある)、ついに上野を離れて越後の長尾景虎を頼った。そして、長尾景虎を憲政の養子とした。
永禄三年(1560)、景虎と共に関東に向かい、北条に奪われていた城を奪還しつつ、諸将を募って大軍を編成し、翌年には小田原城を攻めたが、落とすことはできなかった。戦いの後、鶴岡八幡宮にて関東管領職を景虎に譲渡し、上杉姓と自身の「政」の字も与えた。
この後憲政は隠居し、剃髪している。
天正六年、上杉謙信の死後、養子の景虎と景勝の跡目争いのなか、憲政は景虎を支持。しだいに勢力の増した景勝方に攻められた景虎は、憲政の住む館、御館に立て篭もった。憲政は景虎の嫡子と共に、和睦を申し込もうと景勝側に出向くが、そこで討たれて死去。57歳。

※・・・いつものコーナーです。

憲政「いてて・・・」
業正「どうなされた、憲政様?」
憲政「いや、外でやたら丈夫な老人に『覗いてないでとっとと入れこのボンクラ』と押し込まれてな」
業正「・・・それは災難でしたな、その無礼なジジイは我が家臣の秀綱殿に命じて厳しく罰しておきますゆえ、ご安心ください」
憲政「・・・うむ」
業正「憲政様・・・頭をお上げください。うつむいていてはお顔が見えませぬ」
憲政「・・・どの面下げて、私はお主に対せばよい」
業正「その、いかにも人良さげなお顔でございます。先ほどの暢気な憲政様はどうされたのです?」
憲政「わ、私はお主が怖いのだっ!」
業正「・・・憲政様」
憲政「後ろから見ていると、大きくて、とても頼れる気がする・・・だが、正面から見るとたまらなくなる。私はお主に何をしたと思う?何もしていない、話もあまりしない、意見があっても容れない・・・」
業正「ああ、そうでしたなぁ。しかし、上杉家での権力を増そうと言う野心を見透かされ、警戒されたゆえ仕方がありませぬな。野心を憲政様に悟られてしまったそれがしの失策でございました」
憲政「う・・・そ、そして、河越で負けて、武田に攻める口実まで作って、お前だけでなく、多くの者に愛想をつかされ、関東から逃げ出した・・・そんな私が、関東に残り戦っていたお主に、何を・・・」
業正「その先、ですなぁ」
憲政「先?」
業正「それがしと袂を分かった後です。どうなさっておられたのです?よろしければこの爺めにお聞かせね願えませぬかな」
憲政「・・・それでいいのか?」
業正「御意」
憲政「なら・・・その、逃げた後のこと、だが。どうしようもなく、ダメな私を、景虎殿は暖かく迎えてくれた、それがとても、嬉しかった」
業正「あの御仁、情に厚い人柄のようですからな(腹の底はしたたかなものだが)」
憲政「お主や、多くの家臣に見放されて、いかに己が管領の名を着ただけの小さい男かを知った。周囲もそれを知っていた。それでも、景虎殿は丁重にもてなしてくれた。名前だけの自分に・・・無論、その名前を利用する目論見もあるのだろうが、それでも・・・心地よい扱いだったのだ」
業正「それで、何か礼をと思われたのですな」
憲政「ああ。力の無い者が管領であっても関東は収まらない。だから、力のある景虎殿に名を贈り、関東管領として関東を治めて欲しいと考えたのだ」
業正「これは意地の悪い問いなのですが・・・長尾殿はあなたにそうさせるのが目的で、その後用済みにされるとは思わなかったのですかな?」
憲政「それでもいいと思った。なにもかも失ってしまっても、構わないと思った・・・そうはならなかったけれど」
業正「・・・」
憲政「それから・・・考える時間が出来た。今までのこと、己の行動の軽率さ、愚かさ・・・反省と後悔・・・朝定殿、晴氏殿、家臣達に、懺悔と・・・感謝を。出家したからね、祈る時間は沢山あった」
業正「・・・」
憲政「それで、謙信殿の養子の景虎殿と仲良くさせていただいた。景勝殿とも仲良くしていたと思っていたのに、謙信殿が亡くなると、急に子供たちは家督を争い始めた。・・・端から観ていると、悲しくて醜いものなんだな、権力の争いと言うのは・・・我が山内上杉と、扇谷上杉の争いも、そうだったのだろうな」
業正「・・・」
憲政「私は、どうにかして和解させようと必死に頑張ってみた。景虎殿は、北条から養子に出された方だが、良い方だった。もう、北条への恨みとかそういう感情はなくて、ただこの兄弟の争いを止めたかった・・・結果は、あの通りだったけれど、ね」
業正「いや、ご立派ですぞ、憲政様」
憲政「・・・そうかな」
業正「それがしの知っている憲政様は、北条との戦と声高に言いつつ、ご自身は殆ど出陣なされることはなかった。しかし、御館では自分が恩義を受けた家の争いを鎮めようと、不利な戦に自ら撃って出られた・・・随分と成長なされましたな」
憲政「そ、そんな風に思ってくれるのか?」
業正「ふ・・・ようやくお顔を上げてくださいましたな」
憲政「・・・業正、私は」
業正「途中経過など、どうでも良いのです。最後まで、必死に頑張られたのですから。胸を張られればよろしいのですよ、憲政様」
憲政「ああ、ああ、そうする!これでも私はお主のあるじだったのだもの、お主を辱めぬ為にも、毅然とせねばダメだよな!」
業正「よい笑顔です、憲政様。・・・随分長く時が経ちましたが、そのようなお顔を拝見することができ、嬉しゅうございます」
憲政「よし、これからは堂々と胸を張って、陰からお主を応援するぞっ!」
業正「いや、別に後ろでなくてもですな」
憲政「私は自分の情けなさを自覚したからな!これからは堂々と業正に頼らせてもらうぞ!」
業正「・・・やれやれ、全く立派なご主君で・・・しっかり後ろに居てくだされよ」

おわり

ゲームじゃひどいステータス。何かにつけて「ヘタレ武将」とか「ダメ武将」とか言われてしまう上杉憲政さんですが、そんなに悪い、ダメな人でもないのじゃないのかという気持ちで作ってみました。河越夜戦での大失敗ばかりが目立つ憲政さんですが、関東を去り、長尾景虎に上杉姓と管領職を譲ってからのち、上杉家の家督争い「御館の乱」で重要な人物でした。
自分の中では、憲政さんは乱世向きではなく、平和が似合った普通のいい人だったんじゃないかな、と思います。
どうでもいいんですが、「なりまさ」と「のりまさ」なのでキーを結構打ち間違えます(笑)。
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